Scribble at 2023-04-03 20:46:17 Last modified: 2023-04-03 21:28:48

字が下手な人の特徴として、運筆が雑になっていると言える。そもそも字が下手という意味は、幾つかの定義や特徴があるにしても、筆運びが下手だという場合だけでなくデタラメに運筆している場合もある。一見すると草書体で書いているようだが、たいていは字が整っていないことを誤魔化すために出鱈目な運筆で書いているだけである。だからこそ、書道の先生が学校の授業で子供に教えたり、あるいは書道教室へ通い始めた大人にでも繰り返して強調しているのは、「丁寧に書く」ということなのだ。

あまり日本では説明しないが、中国の「書法」では一つ一つの運筆について、その精神性なり効果を詳しく説明する。点画の全てに、そう筆を運ばなくてはいけないという意味があることを理解していない限り、その字をそう書く理由は理解できないからだ。これは、もともと漢字が象形文字から発達しているという事実から当然のことであろう。よって、出鱈目に部首の書き方を省略したり、適当に繋いで書いたりすると、それは全く別の部首と同じ形になってしまったり、場合によっては文字の姿として無意味になってしまうわけである。

したがって、自分は字が下手だという自覚がある人は、点画を省略せずにゆっくりと文字を書くことから始めるよう、お勧めする。仮に「一」(漢数字の「いち」)という文字を書くとして、これを丁寧に最初から最後まで書くという習慣は非常に大切だ。よって、字が上手いか下手かは「一」を書いてもらえば分かる。よく言われる「永字八法」を使って「永」の字を書いてもらうなんて不要であり、「一」、つまり横に一本の線を引くのが上手いかどうかだけで分かるのだ。そもそも「一」が一画の文字だからといって、これが一つの要素だけで語れる文字だというわけではない。最低でも四つの要素で判断できる。つまり、文字を書く位置、筆の入り方(始筆)、進め方(送筆)、そして収め方(終筆)である。

それから、やはり字が下手な人に多いのは、もちろん持ち方が悪いという特徴だ。僕も、字が下手だった小学生の4年生くらいまでは、矯正してから40年以上が経ったので自分自身の悪かった持ち方も覚えていないほどだが、確か親指の先ではなく親指の腹でペンを握っていた。したがって、ペン先の動く範囲が狭くなってしまい、まず上手い下手という以前に小さな文字を書いていたのである。これを、同級生だった大北君という人物に直すようにアドバイスされてから、5年生の頃にペンの持ち方を矯正し始めて、幾つかの波及効果があった。まず文字を濃くて十分に大きく書くようになってから、書く文章にも自信を持つようになった。他人がそもそも判読できる文字を書くのだから、それに見合うだけの内容がなくてはいけない。そして、運筆が適正になったおかげで、チョークで文字を書くときも上手くなり、中学以降はホーム・ルームの時間に板書を担当することが多くなった。当然、クラブ活動でも書記役を担当することがあったし、国語の授業などで黒板に文章を書くような機会があると、学年が上がって最初の授業などで初めて僕の字を見る人から、或る種の驚嘆というか声が上がったりしたものである。とは言え、他に書道を習っていて段位を持っている同級生もいたのだが、なぜか書道が僕よりも上手いのにチョークを使うと変な字を書いていたりしたのは不思議だ。チョークで板書すると腕が全く浮いてしまうから、懸腕で書く練習をやっていなかったのだろうか。

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