2022年03月13日に初出の投稿

Last modified: 2022-03-13

学術研究者、なかんずく哲学者と呼ばれる人について、昔からあるステレオタイプは「博学」あるいは通俗的な言い方では「物知り」ということのようだ。しかし、乱読や多読、つまりは大量の情報を得るということ自体に何か特別な価値があるとは言えない。恐らくは自他共に膨大な分量の書物を読んでいるとされる人々は、日本でも海外でも数多く出版・マスコミ業界に知られているが、彼らが我ら人類の知性や知識の最高権威とか最大の知者であるかと言えば、立花隆だろうと「編集工学おじさん」だろうと元ゲーム作家の自称思想家だろうと、鼻で嗤う他にない(かといって DaiGo のような全くの蘊蓄パフォーマーでもないし、彼らの成果を独立に評価できるのは確かだが)。ただ単にエピゴーネンか書籍編集者が「知の巨人」だの何のとリード文さながらに評しているだけのことでしかないのは、最低でも修士号の学位くらい持っていれば自明と言えるような事実だろう。他にも、「雑学博士」に本当の博士(はくし)は殆どいないという圧倒的な事実が、乱雑な情報の価値を正しく証明している。乱雑に調べたり書籍を読んで記憶しただけの些末な蘊蓄をどれほど積み重ねてみても、それらの総和が体系的・論理的・有機的な結びつきをもっていなければ、有効に活用できない。

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