Scribble at 2021-07-31 00:10:52 Last modified: 2021-07-31 10:56:28

さきほどから読み始めた『人を動かせるマネジャーになれ!』(ブライアン・トレーシー、2013)は、コヴィーの『7つの習慣』に似た印象のビジネス書だが、悪い意味で更に極端な本だ。それは、とにかく著者が言いたいことや知ってることや勧めたいことを、これでもかと一冊の本に詰め込みすぎているからである。しょせん、ビジネス書で提案される方針やスローガンや行動目標というものは、たいていにおいて社会科学的に厳格な吟味を経ていない著者の経験則だったり、社会科学なり経営学としての論拠があるとしても、非常に限られた範囲にしか適用できないことを一般論として濫用していたりする。要するに、一冊のビジネス書でそれなりに説得力をもって言えることなど、せいぜい一つか二つにすぎない。しかし著者の論拠が不十分なり不当であれば、その一つや二つですら『グリット』のように 1/5 ていどを読んだだけで生存バイアスや結果論だと見切られてしまう。

そして、一冊の書物に過剰な数の提案やスローガンを幾つもの箇条書きで並べることの弊害は、もちろん誰の記憶にも残らないという点にある。それは、一度に記憶できる項目の数に生理的な限りがあるという理由もあるが、書かれている内容どうしに矛盾があったり、または関連性のないことを結びつけていないかどうかを読者がざっと検討できる数にも限りがあるからだ。重要だと言われて7つも8つも方針や提案を並べられても、それらどうしの論理的な関係を検討する気にはなれない。たとえば、冒頭にマネージャーとして部下に試してみたいアクションとして、「部下を褒める」だの「部下に挨拶する」だのと、通俗的なハウツー本によくあるアドバイスが幾つも並べられている。もちろん、社会心理学として一つ一つは十分に検討して良いテーマではあるが、しょせん素人が経験や思いつきで並べているだけのアドバイスには詳しい説明も丁寧な論証や実証も欠落しているため、「それはそうかもね」という大人としての常識に回収されてしまう。想定可能なことを想定可能な範囲で文章にしたところで、大多数の読者にとっては最初から知っていたかのように読み流されてしまうだけだろう。

すると、自分自身の業務や考え方に適用してみる意欲につながらないため、書かれている内容が妥当かどうかも確かめず、よって何かそれらしいことが書いてあったという印象は残っても、現実には内容を殆ど覚えてもいなければ覚える気にもなれないという結果になる。この本で言いたいことは何かと質問されたら、おそらく著者は「ここに書いてあること全部だ」と返答せざるをえまい。それはつまり要点が絞られていないどころか、要点がないということでもあり、著者が「マネジメント」という言葉について思いつくことを書き並べたにすぎない。それは、著作物というよりも著者の備忘録であろう。

すると、要点のはっきりしないものを読まされるとどうなるか。早い話が、面白い小説を読んだのと大して変わらない〈読書体験〉に終わってしまう。もちろん、それはそれで無意味というわけではない(もしそうなら小説を読むこと自体が無意味と言っているのと同じになってしまう)が、ビジネス書の効用としては不十分と言わざるをえない。僕らがビジネス書を読むのは、一定の知見を得たり仕事をするうえでのヒントを得て、自分で仕事の方針やキャリア・パスを見直したり描いたりする参考にするためだろう。「ああ、面白かった」という心地よい読後感だけでよければ、それこそ『カノジョに浮気されていた俺が、小悪魔な後輩に懐かれています』とか『身代わりの恋が甘すぎて 寂しがりやのペシミストは肉食彼氏に堕とされる』といった、東アジアの辺境社会主義国家が世界に誇るクズ文学作品を読めばいいのだ。

そして、上記のような読後感しか残らないようなビジネス書を読むだけだと、最もよくある後の展開は、同じようなビジネス書に再びどころか何度も手を出してしまうという悪習慣がついてしまうことだ。そのような「カスタマー」は、文字通り馬鹿げた custom が身についてしまっているので、出版業界にとっては好都合な〈カモ〉だし、実は経営学関連の出版としては意図的にそういう〈カモ〉を呼び込むような本を出している気もするわけだが、ともかく似たような本を何度でも手にとっては、あれも良かったこれも為になったという自己欺瞞を続けることになる。

当然だが、そのような人物が実社会で(少なくとも読書を発端として)業績を上げることは困難である。

なお、本書にも(本書で部下は褒めろと言ってるわけだし)良いところはある。引き合いに出している事例や「フレームワーク」の類は大半が底の浅い説明しか無い付け焼き刃のものだが、たとえば権限移譲の「逆転現象」として、HBR に掲載された William Oncken, Jr. (1912-1988) の論説を紹介していたので、実際に当該の論説を HBR で見つけたりオンケンについても調べるきっかけになった。ライターと称する素人が書くウェブページには、こういう参考文献や具体的な事例による〈広がり〉というものが殆どない。無知無教養な連中がオンラインで見つけた他人の記事からコピペや翻案で「出力」しているだけなのだから、そんな記事に他の文献への参照がなかったり、多くの人々とのつながりが欠落していても当然だろう。これに対して、まともな文章というものは、それが他人に向けて書かれていれば、たとえ社内で回覧するプレゼン資料の類であっても、参考にした文献を紹介して話題の広がりを与えてくれたり、それから文章の裏書きを与えるものである。

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