Scribble at 2000-05-22 00:00:29 Last modified: 2022-09-23 11:50:24

「盛り上がろう!」・・・あんたらは暇だからそれでいいかもしれないが、世の中には夜間に働いて昼間に寝ている人間もいるわけよ(自分でもそういう生活をしていますし、母も看護婦なので夜勤があったりします)。結局、そういう小文字のファシストたちとどうやって渡り合うかがわたくしの長い課題でした。

わたくしは高校時代に自治会の執行部で副会長を担当しましたが、その選挙へ出た時にわたくしが掲げた公約は「文化祭(母校では「附高祭」)をなぜやらなければならないのか、最初から考えてみよう」というものでした(母校では文化祭をやるかやらないか、またやるとして何をやるかは、完全に生徒が決めていました)。その当時から、「この時期になればこういう行事をやるのが当たり前だ」とか「伝統だ」という理屈は、何かをごまかしているように思えたわけです。わたくしは民俗学や青年心理学あるいは高校教育の話をしたいわけではありませんが、ともかく「盛り上がりたい」といった糞味噌な理由で何かを始めようとする連中は、普段のありきたりな生活を少し逸脱するようなことがなければいけないといった、もっともらしい理屈をひねり出す。

わたくしが理解に苦しむのは、第一にこういう人々は学校の中でしか生きていないのだろうか、ということです。学校が全てなので、普段とは違うことを「学校で」やりたいわけです。学校の外でやることが何もない連中、こういう連中は普段の(学校を離れた)生活でやりたいことが何もないくせに、秋頃になれば文化祭をやりたいと言い出す。文化祭でやるようなこと、例えばバンドや屋台は暇な時間を見つけていつでもできることではないか?

また、わたくしが理解に苦しむ第二の点は、そういうことを「クラスメートと一緒にやる」ことが大切なのだという理屈です。これも結局は世相を反映しているのか、会社の中でしか付き合いがない多くの社会人とほぼ同じ生活パターンに見えます(これをいまさら「管理教育のせいだ」と大声で言うのは、滑稽を通り越して悲惨です)。要するに会社員の方々が慰安旅行に行くのと同じ事でしょう? 今はだいぶマシになりましたが、まだ世の中には「いや、どのみち有給で慰安旅行に行くなら、私は子供とキャンプに行きます」と言うような人を裏切り者呼ばわりする連中はかなりいます。

さて、「たまには」「みんなで」「盛り上がろう」という三段重ねを押しつけてくる連中とどうやって折り合えばいいのか。ひとたびセンチメンタルな衝動に駆られてしまうと、今述べたような動機でもって異議を唱える人物は共同体(があるとしての話だが)の結束を乱す者として糾弾されることになります。そこでは、「やりたい人たちだけで、迷惑をかけずにやればよい」という理屈は通らない。彼らは「誰もがこうしたい筈だ、だから僕らは共同体を作っているんだ!」と考えていますから、その成員の中に「迷惑なことだ」と感じている人がいるかもしれないという可能性を想像できないわけです。確かに、自分たちと同じように考えている人たちだけで共同体が成り立っているとすれば、その中に別の考えをもつ人がいるかもしれないと想像するのは難しいでしょう・・・う~ん、また長い文章になってしまった。要するに、山の中へ行って勝手にやってくれということなのだが、彼らは「みんなで行こう!」と怪しげな宗教の勧誘員みたいな笑顔で誘うだろうなあ。困ったなあ。

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