Scribble at 2021-08-01 13:48:04 Last modified: 2021-08-01 13:59:46

数日前からビジネス書の話を幾つか投稿しているが、これはダンボール箱で古本屋に本を送りつけていることとも関連がある、一つのプロジェクトというかチャレンジというか、些細な計画を実行しているからだ。それは、そろそろ蔵書を減らしていこうというものである。部屋の一つが殆ど本で埋まってしまい、いまでは寝室にまでケースを置く始末だ。こんなことは別にやりたくてやっているわけでもなければ、人として、あるいは哲学者として生きるために必要というわけでも何でもない。読んでいない本があればなおさら、既に読んだ本も放置しているので、再び読むに値するかどうかも分からない本を蔵書として抱えていることになる。これでは、おそらくこれからも本を買ったり借りる生活を続けるとは思うが、そのうち置く場所がなくなるのはもちろん、住環境としても更に劣悪となるのは明らかだ。これを解決するには、既に読む必要がなくなった本は即座に古本屋へ売ってしまい、読むべきものは読んでいくしかない。もちろん読書を全くせずに積ん読するような〈性癖〉はないので、これまでも本は読んできたわけだが、もっと読書に時間を使うべきであろうと考えた。

そこで、優先して数を減らせる本から〈やっつけていく〉ことにした。簡単に言えば、ノートを取りながら一度でも読めば、もう二度と読む必要はないので、さっさと古本屋に売ってしまっても問題はない本である。それは、(1) ビジネス本、(2) 文庫本、(3) 新書本の3つだ。単行本は、恐らく棺桶に入れて一緒に焼いてもらってもいいようなものも含めて、手元に残しておきたいものが多々あろう。それに比べて、もちろんビジネス書にも座右に置き続けてよい古典や優れた本はあろうし、文庫本でも古典の翻訳などは手元に残しておくべきであろうが、一度でも読めばいいという本が多いのも確かだ。そういうわけで、まずはビジネス書から手を付けている。特に、安かったという理由もあって古本屋で手軽に購入したビジネス書の多くは未読なまま放置されているので、すぐに読んで処理しなくてはならない。

そして、やるべきことを思い立ったら、事前に準備や交渉の必要がない限りは即座に実行するのが最善手というものである。既にありふれたフレーズだが、「やるなら、いまでしょ。」というわけだ。どこかの国では「緊急事態宣言」といった人の生死にかかわる施策を、常に月曜日から適用するという愚かな習慣をいまだに続けているようだが(いまとなっては準備など必要もなかろう)、事の本質と無関係なタイミングやスパンを設定することほど、ビジネスであろうと学術研究であろうと、そして僕たち自身の生活であろうと、愚かなことはない。たとえば、あなたが子供をもつ親であるとして、交通事故で死にそうな状況の子供が病院にいるとき、「注文していたスーツを月曜日に店へ引き取りにいってから病院へ颯爽と向かいたい」などと考える自意識野郎がいたら、親として以前に人として何が狂っているとしか思えないだろう。

なお、普段から「速読」と呼ばれるインチキなザッピング手法を侮蔑していたり、「編集工学」を始めとして読書量だけを誇るような人に偉人やノベール賞を受けた人物がいた試しはないという明明白白な事実を何度も指摘しているわけだが、もちろん僕も単行本を1日に1冊くらい読むていどの知性や認知能力はある(そのていどの能力があれば、少なくとも国公立大学の博士課程に進学できるという実例でもあろう)。それゆえ、ひとまず1日に1冊ずつビジネス書を読んでメモを残すという習慣は実行できている。そのうち単行本としてのビジネス書は手元になくなるので、次はビジネス関連の文庫本や新書本を〈やっつけていく〉ことになろう。そのくらいの分量の本であれば、恐らく1日に2冊くらいは読めるのかもしれないし、時間を決めておけば実際に可能だろうと思うのだが、今回は時間ではなく量で1日のタスクを決めているから、早く読み終わろうと、その日のタスクは終わりだ。逆に言えば、1冊を読了するまでに何時間もかかる可能性だってあるわけだが、そこは仕方がないと思う。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook