Scribble at 2021-08-01 09:03:38 Last modified: 2021-08-01 23:00:42

添付画像

上の画像は『GANTZ』という作品の登場人物だ。朝に Amazon Prime で第一作のトレイラーを観てから、その後に念のため冒頭部分を30分だけ観た・・・俺って、こういう典型的なB級映画の演出ってだめだわ。

いきなり奇天烈な事態に置かれて困惑するというのは分かる。それは誰でもそうだろう。でも、自分たち自身の生き死にがかかっていると分かってる状況で、たとえば武器を発砲するのにいちいち大声で叫んでみたり(そういう〈景気づけ〉みたいなことをしないと体が動かない人って、意外かもしれないけど、いわゆる「体育会系」の人に多い印象がある)、発砲するまでに無意味な独り言をえんえんと喋ったりする(敵の何とか星人も、よくそのあいだ待っていられるものだ)。よって、レビューには山のように「イライラする」という★1のコメントが積み重なることになる。

もちろん、ヒトがやることなのだから誤りもあれば失敗もあるはずだが、判断や行動においては何らかの〈切り捨て〉や〈独断〉が必要だ。例えば、自分がこれからやることに〈100%の保証〉がなくてはいけないなどと言い始めたら、人は何もできなくなる。パソコンの電源ボタンを押したら爆発しない保証などあるのか。パソコンの電源ボタンに触っても感電しないという保証は? いや、パソコンの電源ボタンに目では見えないくらい小さな暗器を悪意のある宇宙人が仕込んでいて、ボタンを押した瞬間に暗器の毒が回って死んでしまうような危険性がないと誰が保証できるのか。こういう話は、科学哲学のプロパーや元学生ならご存知の話だが、ファン・フラッセンが『科学的世界像』で面白おかしい事例と共に紹介して議論した「フレーム問題」そのものであり、これは人工知能を開発するときに立ちはだかる課題もしくは単なるパズルではなく、知性とは何かという話題にもかかわるテーマだ。

もちろん、何かを判断したりどのようにか行動するにあたって、考慮するべきことがあるかどうかとか事前にやっておくべきことがあるかどうかは、人によって基準が違う。『GANTZ』の登場人物においても、目の前の何とか星人に銃口を向けているとき、もしかして発砲したら銃が爆発するのではないかと心配する人がいるかもしれないし、発砲しても実は威力がなくて、何とか星人が今度は自分にヘイトを向けてくるようになるというリスクを犯すだけではないかと不安になるかもしれない。人として単に優柔不断であるとか、まごまごする気質だとか、ふだんからの習慣で、蚊を退治したり人を殺すときには何らかのお祈りをしなくてはいけない宗派の人もいよう。しかし、そんな事情が各人にあることを納得させられるような演出でもなんでもないのが、この作品だった。

思えば、連れ合いがよく観ている最近のアニメ作品でも、「えっ・・・えっとぉ・・・」とか、「あっ、あのぅ・・・」とか、やたらと口ごもったりおどおどするような口調の登場人物を配置する作品があって、僕にとってはオッド・アイのツンデレ・キャラと同じくらい凡庸な設定で呆れてしまうのだけれど、ありがちということは、それだけそう描かれた人物が出てきても違和感を覚えない人が増えているということなのだろうか。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook