Scribble at 2021-08-24 18:09:07 Last modified: 2021-09-27 14:01:40

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プロフェッショナルマネジャー

本日は、ハロルド・シドニー・ジェニーン(Harold Sydney Geneen)とアルヴィン・モスコウによる『プロフェッショナルマネジャー』を読んでいる(本文では中黒「・」を使っているのに、どうして書名は「プロフェッショナル」と「マネジャー」を繋げているのか理解できない。読み辛いではないか。もっとも、本文でも中黒を使わない場合もあって、いまどきの電子入稿では信じられないレベルの表記揺れがあるのだが)。例によって、企業経営者の書く本は、多くの場合にモスコウのような「編集者」が実質的なライターだったりする。恐らくジェニーンからの聞き書きを編集した文章が元になっているのだとは思うが、もちろんそれ自体の良し悪しを言いたいわけではない。ただ、文章の中で〈いかにも名文っぽい〉フレーズを見かけたら要注意だと言いたいだけである。

それはともかく、本書はファーストリテイリングの柳井氏が大絶賛というわけで、或る程度の規模がある書店なら置いてあることが多い。そして実際に或る程度は売れていると思う。ビジネス書として推薦されることも多くて、おそらく会社勤めの経験すらない小僧や経営コンサルがアマゾンのリード文から作ってるような、クズ同然の「おすすめのビジネス書30冊」などというブログ記事にまで登場するのだから、恐らくは起業を考えている高校生くらいならとっくに読んだことがある一冊なのだろう。そして、確かに読み物として良い出来栄えの本だと思う。ただし既に書いたように、僕はこういう本は「ビジネス書」だとは思わない。どちらかと言えば自己啓発本の類であり、読む側の見識によって幾らでもクズのような〈答え〉が導かれてしまうか、殆ど役に立たない二束三文の小説みたいなものだと思っている。つまり、このような本をきっかけにして優れたアイデアに思い至るような企業人は、遅かれ早かれ同じていどの結論や発想に思い至っていた可能性があるわけで、こういう本はその背中を押すくらいの意味はあるが、有能な人間を生み出すような本ではないのだ。それは、おそらく推薦している柳井氏も分かっていることだろう。無能が読書で何かを見出すなどという奇跡は、ビジネスどころか人の社会には起きないのである。

それでも、本書は読み物として色々と考えさせられることがあり、本国のアメリカでは殆ど古本屋の埃を被っているのが残念だ。実際、たまたま今年の Forbes に掲載された以下の記事を見つけた。

https://www.forbes.com/sites/eliamdur/2021/04/15/leadership-cannot-be-taught/

"I asked 25 current business leaders the same question [Who was Harold Geneen – and why does something said he said decades ago about leadership matter more than ever?]. A scientific poll it was not, but the results were predictable: no one knew."

(ハロルド・ジェニーンとは何者か。そして彼が何十年も前にリーダーシップについて言ったことがますます重要になってくるのはなぜか。私は、この質問を現在のビジネス・リーダー25人にぶつけてみた。それは科学的な調査というものではなかったが、ともかく結果は予想通りだった。誰も彼を知らなかったのである。)

実際、ジェニーンの本を現在でも熱心に印刷して読んでいるのは、皮肉にもジェニーンが強い対抗意識をもっていた日本の人々だけであると言っていい。アメリカの企業として文字通り歴史に残る素晴らしい業績を達成しておきながら忘れられた ITT という会社と同じく、その経営トップとして長らく携わってきたジェニーンも、気の毒なことにアメリカでは〈無名〉の人物である。だが、本書を読むと現在も手に取る価値があると分かるだろう。もちろん、最新の経営理論など解説されてはいないし、マッキンゼーや NRI やアクセンチュアのコンサルが徹夜でパワポを使って描くフレームワークとかいう conceptual eyecandy の類も登場しない。かといって、飲食系チェーンや営業代理店系の経営者が口にするブラックな過重労働を求める自己責任論や自己実現論もない(いや多少はあるが、ハード・ワークこそが成功の秘訣だなどという安っぽいフレーズは出て来ない)。しかし、かなり込み入っていて些事としか思えないようなことまで細かく書かれた文章を読んでいく中にも、記憶に留めておきたい文章が幾つも目にとまる。

それから読んでいて気づくのは、冒頭で「G理論」と自虐的に称して世間にはびこる経営理論の類を侮蔑しているが、本人はセールスマンが手にするようなノウハウ本の熱心な読者だったし、それどころか誰でも通えるわけではない Harvard Business School にすら通ったこともあるらしいのだから、一通りの理論や理屈は会得した上での発言だということが分かる。しかし日本の場合、学術研究の成果をにべもなく拒絶する人々というのは、その多くが「現場主義」などという視野狭窄からの冷笑に終止しており、特に学校教師と中小零細企業の経営者に根強い。だが、彼らは誰かから現場主義という理屈を学んだわけではないので、要するにそれは勉強不足の自己正当化だったり、低学歴のコンプレックスから生じる反知性主義的な反感にすぎない。困ったことに、そういう「現場」の自分たちに知識や知恵の権威があるという倒錯した理屈を「民主主義」だと錯覚する出鱈目な劣化左翼が学校現場に多いため、なかなか社会から一掃するのは困難である。そういう意味でも、この本が日本だけで売れていて読まれているという事実は、国家規模での喜劇、あるいは国家のスケールで描かれた風刺画を眺めているような気がする。

それから小さい話だが、本書についてもタイトルの翻訳は不適切だと思うので、少し書いておきたい。本書の原著タイトルは "Managing" というシンプルなものだが、訳本は装丁に "Professional Manager" という単語がデザインとして配置されていたりするので、「プロフェッショナルマネジャー」が原著のタイトルを訳したものだと勘違いする人がいるかもしれない。しかし、それは間違いだ。そして、「プロフェッショナルマネジャー」がタイトルとして不適切である二つめの理由は、単に言葉の問題だけではなく、その言葉が意味するところを正しく表現していないという、もっと致命的な点にある。なぜなら、著者のジェニーンは "professional manager" という言葉を、目指すべきタイプの職能を表す言葉として使ってはいないからだ。これは、本書の第6章くらいまで読み進めないと気づかないことだが、実際に著者は悪い振る舞いや考え方をする「プロフェッショナルマネジャー」の事例を挙げていたりするので、何事かを成し遂げた〈ゴールとして目指すべき人々の職能や職位〉として「プロフェッショナルマネジャー」という言葉を使っているわけではないのである。更に言えば、著者のジェニーンは本書の中で「企業人」とか「リーダー」とか「エグゼクティブ」といった言葉を色々と使っているが、そのどれであろうと目指すべきロール・モデルを表す言葉としては使っていない。つまり、そんな言葉は一つもないし、「●●」と呼ばれることで、その人物の能力や成果を周りから保証されているようなものなどないと言っているのである。よって、これこれをやっていって、初めてわれわれは「リーダー」となるとか、「プロフェッショナルマネジャー」と言える立場になるなどという、双六のゴールみたいなものとして扱っていない。そして、それがなぜなのかは、そもそも本書(特に第6章「リーダーシップ」)を真面目に読んでいれば、誰でも気づく筈なのだ。

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