Scribble at 2021-08-25 16:39:54 Last modified: 2021-08-25 17:49:50

突然だが、これまで1日に1冊ずつビジネス書を通読してきて、「ビジネス書」の範疇にかろうじて入ると思われる本を引っ張り出して待機させていたのだが、その一部を後回しにしようと思う。それらは、簡単に括って表現すると、ビジネス・モデルに関連する本と、マーケティングに関連する本である。真摯に著作物を手掛けている人々には気の毒な話だが、やはりどうも販売や宣伝やサービス開発の話は〈手練手管〉の話をしているようにしか思えず、読んでいて全く面白くないし、僕の職位や職能において読んでおかねばならぬと言えるほどの重要性を感じない。もちろん企業人の素養として何らかの知見を体系的に得ておく必要や責任は感じるが、いますぐに知っておかないといけないこととは到底思えないのである。

『プロフェッショナルマネジャー』を読み終わって、次に『ビジネスロードテスト』(ジョン・W・ムリンズ、英治出版、2007)を手にして読み進めていたのだが、雑感として〈概念と金銭の交換〉という図式を回りくどく喋っているだけにしか見えない。この程度でイギリスの大学で教えているというのだから、或る程度の金を手にした実績さえあれば、イギリスでもビジネス・スクールの教授になるなんて簡単なことなんだなと思う。たぶん英語さえ十分に扱えたら、俺ならとっくに名誉教授になっているのだろう(つまり20代の俺が教授になって30年ほど教授として教えてきた後に、現在は既に退官しているということ)。

もっとも、ここでわざわざ批評しなくても、この本は現に殆ど売れていないし、ビジネス書としても本書を取り上げたり推薦しているブログ記事など見たことがない。それもそのはずで、著者が自分で起業して大金を手にした実績は事実だとしても、自分の狭い経験を程度の低い統計学とか概念のリストで一般化しただけの「経営理論」を振り回しても無駄だからだ。そういう人々の「経営書」というのは、往々にして他人が参考にしてみる気を失うほど細かくて大量の手順やチェックを必要とするため、経営学のプロパーですら追試する暇人などいないため、支持も反論もされないまま書店の棚から消えていくだけなのだ。

なんにせよ、その手の概念的な虚仮威しだとか、あるいは「営業戦略」などと愚かなフレーズを散りばめた本を読む気にはなれない。必要に応じて手に取る(べき)かもしれないので、全て売り払うようなことまではしないが、いまは読まなくていい。

なんで「営業戦略」というフレーズが馬鹿げているのかを説明しておくと、こうした軍事用語の安易な流用をそのまま続けるなら、営業というものは〈企業〉活動において、本来は「作戦級」の成果しか上げられないからだ。販売について「戦略」などと言うのは、それこそ販売こそが企業活動というプロセスの全てだという愚かな錯覚を自己紹介しているようなものである。そして、このような錯覚に陥りやすい人々の典型は、商品開発や原料の調達あるいは製造技術からロジスティクスに至るプロダクト・マネジメントの全体(このレベルで、やっと「戦略級」の議論ができる)を殆ど無視して販売だけを考えていればいい、小規模経営の小売業の営業だ。こういう人々は、どこからか調達してきた商品を単に売ることだけが事業の全てだと思っているので、販売について考えることが事業の全体を左右すると思いたくもなろう(実は、個人経営という業容ですら、それは錯覚なのだが)。

それからついでに、日本人、しかも海外に留学して舞い上がってしまったような人々が書く「海外では系」のお説教みたいな本も何冊か持っているのだが、これらは全て古本屋にそのまま出すことにした。数は少ないが、もうこんなものを僕らの職位や年齢で読む必要はないだろう。それにしても、この手の本って某出版社から出ていることが多いのだけれど(以前もマッキンゼー出身者による小言みたいな本を紹介したが、あれも同じ出版社だ)、彼らは格差解消とか反権力を標榜しているわりに、書籍の出版では階級社会や権威主義を無批判に前提した議論が大好きなようで、「左翼が記事を書いて右翼が経営している」と言われるのも分かる。

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