Scribble at 2024-02-23 08:33:54 Last modified: 2024-02-23 08:42:45
ブログの文章はウケ狙いの無駄な改行が多いので、改めさせてもらった(主旨が変わるわけはないはずだ)。そして上記の記事には、確かに同意できる点がある。それは、一定の語彙を使って組み合わせた表現を誰でも生活の中では使っているため、知ってはいても使わない単語を除けば最小の語彙というものが割り出せるという話だ。しかし、そういう最小の語彙が割り出せるからといって、その人物がそれだけの語彙しか知らずに生活しているとは言えないだろう。それだけの語彙があれば「85%」の会話は成立するというが、残りの15%を知らないことによって致命的な誤解や失敗が生じるリスクがあり、そしてアメリカではそれが相手の拳銃の引き金を引かせる動機になったりするのだから、あまり舐めないほうがいい。もちろん日本でも言えることだが、会話が成立するからといって相手に十分な知性や教養があるとは限らないのだ。
そして、この記事の筆者が根本的に誤解しているのは、彼女が参加した「国語(つまりアメリカ英語)」のクラスを受けている人々についてである。そもそも community college の、しかも夜間コースに通って「アメリカ人」と英語を学んだと書いてあるけれど、こういうコースに通っている「アメリカ人」の大半はアメリカで生まれ育っていても後進国や中南米から来た移民の人々(「子供」とは限らない)や、ロクな中等教育を受けられない境遇の人々であることが多い。これに対して、僕らが「標準的なアメリカの大学生」として基準にするのは、アイビー・リーグとまではいかなくても S&P500 銘柄クラスの企業には採用してもらえる人々であり、やはり最低でも州立大学レベルの大学生だ。よって、申し訳ないが比較している「アメリカ人」の基準が低すぎると思う。確かに S&P500 銘柄クラスは日本で言えば上場企業の「プライム」に該当するくらいなので、基準としては高いと思うが、わざわざアメリカに行って働こうという人であれば、そのクラスの企業で働けるくらいの英語力を目指すのが当たり前だと思う。
それから、大学院に行っていると、先輩や教員などで留学した人々の多くが実体験として本音を隠さずに話してくれる機会は多い。そういう機会に聞くことがよくある話だと、やはり留学生や、ネイティヴではない人に対しては、教員やクラスメイト、あるいはホーム・ステイの受け入れ先の人々などは、自覚があろうとなかろうと留学生向けの言葉遣いをしてしまうらしい。たとえば、日本へやってきた留学生に向かって、「あんな凄いこと、掛布・バース・岡田のバックスクリーン三連発みたいなもんや」とか言っても、いまでは大阪の高校生にすら通じないであろう。なので、相手が留学生だと分かっていればなおさら、「あんな凄いことは、なかなかないわ」などと無意識に言い換えているものだ。よって、そういう扶助的あるいはパターナリスティックな受け答えばかりされていることに気づいていないと、自分の未熟な語彙や表現でも相手が丁寧に解釈してくれたり自分が分かるように話してくれてしまうので、どうしても自分の語彙や英語力についての過信や過大評価に陥りやすい。そして、いざ手加減などしてくれない状況になると、全く手も足も出なくなるという経験をしている人が多くいた。よって、僕は日本で発売されている「100語で会話できる」とか「2,000語で十分」といったフレーズで販売されている、英単語や英会話の本で学ぶのは良くないと思う(当サイトで公開している記事でも書いているように、それだけの語彙で相手と会話しようなどというのは、相手に過剰な負担を強いることになるし、多くの場面では野卑で無礼な英語を話していることになる)。
よって、色々な国の言葉を1,000語ていどで「マスター」したなどと言っているような、僕に言わせればおめでたい人々というのは、多くの国で他人にフォローしてもらっていることに気づかない傲慢な「お客さん」だと言いたい。