Scribble at 2022-01-08 09:18:57 Last modified: 2022-01-08 11:33:06

FORTH について書かれた1980年代の出版物から著者の経歴を調べてみると分かってきたことなのだが、まず FORTH を作り上げたオリジナルの作者であるチャールズ・ムーアと周囲の人々、つまり彼が所属した大学とか天文学関連の学会とか FORTH Inc. に関わる技術者というコアの集団がいて、そして数日前にも言及したことだが、そのコアの集団が〈正規の〉開発者と活動している周囲に、とりわけヨーロッパには、開発者としても FORTH のコンサルタントとしても、それから本の著者としても独立した人々がいる。それらの人々は互いに競合でもあるため、EuroForth のようなイベントもヨーロッパにあるにはあるが、殆ど彼らは没交渉であることがわかる。YouTube などで公開されている動画を観ても、参加していたり発表している顔ぶれは、ほぼ同じだ("EuroForth" と名前は大きいが、たぶん2000年以降のアクティブなメンバーは20人もいないと思う)。FORTH について書かれた本の大半の著者が、その後のイベントやニューズ・グループなどには全く登場しない。情報の共有とか、共同しての進展という点では、はっきり言って何の寄与もしていないと言える。

おそらく、先の投稿で僕が紹介した YouTube のコメントが言わんとしていた主旨("Instead of spreading the language, Forth Inc. tried to make consulting bucks off of it.")には、そういう理解もあったのだろう。彼は FORTH Inc. の舵取りに言及していたが、たぶんそれだけではなく、FORTH の使い手の多くが(他の言語でもよくあることで、たとえば最近なら Rust でも同じことが起きている)言語の「ご意見番」なり権威というヘゲモニーを掌握して、コンサルとか出版物の書き手としての特権的な立場や地位を手にしたいなどという安っぽい野望を持ちたがり、FORTH のコア開発者がいた FORTH Inc. ですら、そういう競争へ一緒に乗ってしまい、FORTH という言語の情報を最初から「商品」にしてしまった。これでは、$10 の本も買えない田舎の高校生が FORTH という言語について簡単に知るすべはない。いまなら、ありがたくも多くの中国人(のフリをしたアメリカ人やロシア人もいる)が海賊版の PDF をばらまいてくれているおかげで、プログラミング言語の何百ドルもする技術書だって PDF で簡単に読めるが、1990年代まではそう簡単には言語の仕様に関する情報は手に入らなかったわけである。僕らがいくら学びたくでも、北斗神拳や陸奥圓明流について学ぶすべがないのと同じ話であろう。そういう技術が普及するわけがないのである。

そして、よくよく考えると他のプログラミング言語でも似たようなことは言えるのだった。たとえば PHP が分かりやすい。PHP について翔泳社だ技術評論社だマイコミだと色々な出版社から本は出ているが、それらの著者の大半はお互いに全く面識もなければ、どこかのチャットや掲示板やメーリング・リストあるいは NPO のような組織で情報を交換したり、PHP を使った開発の知識についてまとまった仕事を共同でやっていたりするなんてことは、皆無だ。それどころか、国内で立ち上がった PHP の資格試験や古くからある Zend の資格試験についてすら、大半の人々は全く関知もしていなければ著書で紹介すらしていない。

要するに、FORTH だろうと PHP だろうと Rust だろうと Java だろうと、この手の解説本を書いている人々は、せいぜい「私が使ってる仕事道具を紹介するよ」と言っているにすぎない。彼らが本を書いた後に何年が経過しようと、その技術力や知識は彼ら自身の経験を超えるものではないのである。そして、早晩それらのプログラミング言語は彼ら自身の現実の仕事道具でもなくなり、大多数の場合、彼らが蓄積していく経験とやらも、通俗物書きや狭い人間関係だけで食っていくコンサルとしての経験にすぎなくなる。そういう物書きというのは、どれほどの数の解説書や技術書を書いていようと、開発者なりエンジニアとしては何の業績もない、正直なところ三流どころかアマチュア止まりだと思う。そういう人々の書くものを読んで、イノベーションもものづくりもヘチマもなかろう。(もちろん実績がなければものを書くなと言っているわけではなく、実績がなくても解説に長けた書き手はいる。しかし、それはアメリカの科学ライターなどと同じで書き手としての専門的な訓練を受けたり一定の学位なり素養をもっていてこそであり、IT ゼネコンや上場企業で安楽椅子でコーディングしてるていどの看板でものを書いてるやつが、日本には多すぎるのである。それゆえ、プロのライターが育たず、そうなろうと意欲をもつ若手も出てこないので、ナウい技術の本を出したくなったら、少し英語が読めるていどで東大の修士をもつくらいの子供に書かせてしまうのだ。それは出版業務のスタンスや実務としては浅薄で未熟で稚拙だと思う。)

PHP なり FORTH という言語に関わる情報や知識の展開とか集約とか、そういうこととは無関係である可能性が高い。よって、コンピュータ・サイエンスという学術の学科として学ぶ人は最初から制度的に要求されるので問題ないが(もし学位を必要としていて、まともに教科を履修し勉強していればの話だが)、異なるキャリア・パスに沿ってウェブ・アプリケーションの開発に携わったり、あるいは単純に趣味としてプログラミングするような人々には、従来から僕が述べてきたように、基本的な離散数学の知識を身に着けることもお勧めしたい。そして、それら巷に出回る技術書の多くが(たとえ ANSI とか ISO/IEC のような国際規格に沿って解説されていようと)、インターネット通信の時代においても、やはり地理的・言語的な条件で(場合によっては経済的・政治的な条件にも)偏っていたり制約されているか、あるいは未熟な個人的経験の披瀝にすぎないと弁えておく必要があると思う。どれほど高度なコーディングを披露していたり、あるいはそのコーディングの理由について、いっちょまえの「哲学的」あるいは計算機科学的な解説をしていようと、そんなものはコンサルの顔で発言するこけおどしに過ぎない可能性もあるし、チャールズ・ムーアの動画などを観ると気の毒には思うが、彼の発言の中にはかなりの脚色(記憶の捏造とまでは言わないが、後知恵に近いもの)が多いと思える。また、しょせんは社会科学や人文系のスタンスを知らない未熟な技術者にはよくあることだが、そういう事実にすら自分で気づいていない自己欺瞞の可能性だってある(その手の無自覚な自己欺瞞はアメリカ人にはよくあることで、ヨーロッパの人々から文化的な脈絡で蔑まされるのは、たいていそれが理由だ)。

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