2019年07月27日に初出の投稿

Last modified: 2019-07-27

何度か書いている話だが、僕は頭の回転が非常に遅いという自覚があって、連れ合いの機転というか頭の回転に比べると、何か一つの関心事にかかわることを関連付けて考えたり理解するのに時間がかかる。小学生の高学年で知能指数の検査をやったが、確か80すらなくて軽度の知的障害があると判定されてもいいようなレベルだったはずだ。言っておくが、そういう知能指数でも僕のように実務能力に問題がなければ国公立大学の博士課程に進学できる。学問をやるには、天才である必要などないのだ。そもそも現在の日本どころか世界中の大学に、小学生で大学教授になっていようと、ライプニッツやアダム・スミスに匹敵する人物など一人もいない。

そういうわけで、僕は自分で頭の回転や計算が遅いという自覚があるため、そういう人間でも一定の成果を決まった期間のあいだに出す方法を考えるわけである。

高校までの勉強というと、僕が卒業した大阪教育大の付属高校は、実は三つある分校のうちで、僕が出た天王寺校舎は(たぶん山中伸弥さんが色々なところで話したり書いていると思うので、ご存じの方も多いと思うが)進学校でもなんでもなかった。受験勉強は生徒が自主的に予備校でやっており、高校は予備校でやった勉強の復習をしにくるようなところだと思われていたのである。

東大や医大(ちなみに、うちの高校の東大や京大への進学者数が、同じ大阪で有名な進学校の明星などに比べてかなり少ないのは、医者の子息が多くて 1/3 くらいは医大へ進むからだ)へストレートで入るような同級生は、もちろん僕よりも頭の回転が相当に速いので、例えば日本史の教科書を1週間で読了したりする。当然だが他の勉強も並行してやっているのだから、これは単純な読書としても相当な速さだ。それに比べて、僕は山川の日本史の教科書を読み通すのに1か月以上はかかる。おおよそ5倍ていどの時間がかかる。すると、同じ期間で同じていどの成果を上げるには、同級生は教科書を読んでしまうと半年くらいは読み返したりしないので、そのあいだ僕は休まずに読み返す。そうすると、半年後には僕も5回くらい読み返して彼らと同じくらいの成果に達する。何度か当サイトで書いているが、有能な人間というものは、何も抜きんでた才能がある人というだけではなく、このように僕が半年かかって達成するような成果を1ヵ月で達成できるくらいの知能があるという意味でもある。そういう能力があれば、僕と同じく半年ごとに読み返すのではなく、毎月のように読み返していれば、もっと正確な記憶や理解に達することだろう。それができるのにやらないというのは、同じ目標が受験生として見えている筈だから勿体ないと思うのだ(もちろん受験生である前に一人の人間として、山川の教科書を読むことだけが歴史の勉強ではないという見識を高校生がもっていてもいいし、僕は現に持っていたわけだが、それでも受験で必要なレベルというものはある。縄文時代だけ大学生並みの知識があっても受験では不利だ)。しかるに僕が学問について言っているノーブレス・オブリージェや権威主義やクロスボーン・バンガード流の貴族主義のような議論は、成果や業績としての人類の知性を向上させるという目的だけを向いており、特定の人物や人種や職種や組織や国家とは何の関係もないが、それらすべてに関係がある。

ということなので、僕のように頭の回転が遅い人でも、粘り強く繰り返すことが大切で、実際に学術研究でも必要とされることだ。

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