2021年04月02日に初出の投稿

Last modified: 2021-04-02

「ほぼ日手帳」やら連れ合いとの交換日記やら勉強でつけているノートやらに文字を書いていると、同じ調子つまり運筆で書けていると感じたら、それなりに書くリズムが揃ってきて、実際に文字の見た目も整ってくる。ただ、最近は同じ運筆になると言っても、やや丸まった文字として揃いやすい。かつての丸文字とまでは言わないまでも、縦の線がやや湾曲して、編集用語で言えば平体がかかったような文字になっていく。少し違和感はあるし、このままだと本当に丸文字みたいな書体となるため、敢えて一画ずつ筆で書いているような運筆を混ぜて書くようにしている。点を打つ時に三角を描くようなことまではしないが、手で書いているときに起きやすい我流の崩れ方を抑制するために、わざと教科書体のように一画ずつゆっくり書いたりするのである。

こういうことをすると、もちろん文字を書くのに時間はかかる。しかし、荒く書いて1分かかるものを丁寧に1分30秒で書いたからといって、それがいったい何なのか。確かに、読みやすく丁寧に書いたノートや手帳が〈ある〉というだけでは単なる自己満足にすぎないわけだが、それを何かの役に立てるか立つだろうと思って書くのであれば、10年後に自分で自分が書いたものを読めなくなるという不幸を味わうよりはマシだろう。確かに、機械学習で読み取る技術も10年後には更に発達するとは思うが、自分で書いた文字くらい自分でそのまま読めることが望ましい。そんなことに「最新技術」を使わなくてはならないとすれば、それは文化や技巧を手にしている一人の人間として実質的に退化したのと同じであろう。

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