Scribble at 2020-10-28 12:59:56 Last modified: unmodified

このところ書店でもテレビ番組でも分かったような体裁で「コロナ時代」とか "corona era" などと国内外を問わず言ってるわけだけど、これも僕が昔からたまに指摘している通俗的な当事者主義とか現場主義というものの変種なのだろう。ともかく自分たちが当事者であれば何かを(しかも公に)言う資格があるというわけだ。確かに、善人ぶって資格については譲歩してもいいが、その発言の評価はもともと別である。

とりわけ日本だけで言えば、もっと広範な分野で長期に渡って影響があったことを以て「~の時代」と言っていいなら、僕は「いらすとやさんの時代」と言って何がいけないのかと思う。官公庁であれマスコミであれ商業出版であれ、あらゆるところで「いらすとや」のイラストは使われている。これを、病気とか戦争とか経済とか、深刻であるか、または何か格好いい大文字の政治と関連があるテーマではないからといって些末な話題だと断じるのは、社会学という特別な脈絡を持ち込まなくても軽率と言えるだろう。

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