Scribble at 2021-09-02 11:41:04 Last modified: 2021-09-09 12:08:30

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事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?

時間がとれなくて1冊を通読するのに3日もかかって不本意だが、色々と議論できる点が多いのは収穫と言える。ただ、アマゾンでは高い評価が(もちろんアマゾンだから高評価のレビューが素人の「参考になる」という安っぽい反応を得やすいというバイアスはある)多いにも関わらず、書店では殆ど見かけないし、実際に品切れらしく古本でしか手に入らないようだ。そのうち古本でも手に入れるのが難しくなって、市場から消えていくのだろう。その理由は、先日も書いたように、「事実」なんて著者らが言うほど簡単に集めたり確定できるものではないと多くの人が既に知っているからだ。このていどの実証主義なんて、はっきり言えば200年前のフランス社会学のレベルである。何が「事実」なのかを決める基準は、どう考えても事実の集積だけによる結果論であってはいけないというのが先人の到達した知恵であり、既に我々はその上に立って社会科学を議論している筈だ。経営学なんていう、まともなレベルの学術としては半世紀の歴史もない分野ではどうだか知らないが、少なくとも他の社会科学さらには数千年の歴史がある哲学の研究者から見れば、あまりにも稚拙で未熟な成果だとしか言いようがない。

もちろん、その未熟な経営学や稚拙な経営を学んだ人々によるビジネス書に多くの「事実」を対比して批評することには価値があろう。それは否定しない。本書にも、色々な企業の事例が紹介されていて、それはそれで「そういう事実」があったことは分かるので、参考にはしたい。でも、やはり他の数多のビジネス書と全く同じように、そこには correlation を超える causation としての論証がない。

本書に出てくる別の経営学者であるビル・ジョージの本(authentic leadership で知られる)もまた既に古本ですら手に入りにくいが、彼が言うような話にしても同様だ。変える必要がない経営者の人格というものだけを高らかに訴えただけでは説得力がないのだ。それは、どこまで行っても、たまたまその人が〈いい人〉だったというだけの話に過ぎない。それは経営理論の本でもなければ経営思想の本でもなく、恐らくビジネス書とすら言えないだろう。

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