Scribble at 2021-08-11 12:24:52 Last modified: 2021-08-13 19:16:09
恐らく1日では読了できないと思うが、若くして亡くなったクリステンセンの名著とされる『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』を読み始めた。一読された方々にとってはご承知のとおり、この本では「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」という対比を分析したり説明するケースとして、ハード・ディスク・ドライブ業界が詳しく取り上げられている。そして、クリステンセンが HDD 商品の性能を一つずつ詳しく調べる際に、"DISK/TREND Reports" を利用したと述べている。こういう業界誌があるのかと思って検索してみたのだが、実はオンラインの文書に殆ど情報はない。なぜなら、"DISK/TREND Reports" は『イノベーションのジレンマ』の初版が世に出た1997年の2年後に終刊となっていたからである。恐らく誰が調べても World Cat のような書誌情報のページか、あるいは上記のページしか見つけられないだろう。
"DISK/TREND Reports" を発行し、夥しい数の記録機器を保有していたのは、ジェイムズ・ポーター(1931-2012)という人物だ。ジェイムズはカリフォルニア州のサクラメントに生まれて、サン・ホセ州立大学を出て幾つもの企業を渡り、データ・ストレージ関連の業界団体などにも加わった後に、1977年に DISK/TREND Inc. を起業して業界分析し市場レポートを提供したり、ストレージ企業の経営コンサルタントを歴任してきた。IDEMA のような業界団体の創設にも参画している。そうして、DISC/TREND Inc. の事業を終えた後は Computer History Museum の諮問委員をやっていたという。ちょうどジャズのイベントがあったモンテレーへ来ていたときに脳卒中で倒れて、モンテレーの病院で亡くなった。
これまでに何度か指摘したことはあるが、オンラインのリソースというものはインターネット通信が世界中に普及してきた今世紀(2001年)よりも前の私的な、つまり公表の是非や公表する方法について義務がある公文書を除く全ての文書やデータについては、印刷媒体のデジタル化が色々な事情で進んでいないという理由に加えて、〈そもそも公文書以外はデジタル化する義務など誰にも存在しない〉という根本的な理由によって、情報やソースやコンテンツが完全に欠落しているか、使い物にならないくらい貧弱な分野が多い(僕にとっては意外でもなんでもないが)。たとえば、各大学の学部で発行している紀要とか、大学院生が発行している冊子の類は、その目次がオンラインで公表されているだけでも珍しいくらいだ。もちろん、レビューのない紀要や学生冊子なんて学術的には〈この宇宙に存在しないもの〉として扱ってもいいと言えばいいが、しかし事実として〈ある〉ことを知っている人間から見れば、どれほど学術的な成果の評価として厳格であろうと、〈ある〉ものを〈ない〉と言い張っていることに変わりはない。
そういうわけで、クリステンセンが参照したソースがどういうものだったかを確かめるのは、いまとなっては非常に難しい。誰か実物を所有しているか権利をもつ親族か事業者が、"DISK/TREND Reports" をデジタル化してオンラインに公開してくれることを期待しなくてはならないだろう(Internet Archive にも全くアーカイブされていない。もっとも、仮にアーカイブされていたら違法だとは思う)。
なお、『イノベーションのジレンマ』については既に多くの書評や批評が加えられているとは思うのだが、あまり有名なものを知らない。しかし、その割に丁寧に読むと冒頭から怪訝な印象を受ける記述がある。たとえば、持続的技術と破壊的技術を定義するときに、持続的技術は「実績ある企業」が性能の向上に利用している技術だと言うのだが、実績ある企業の定義は何なのかと言うと、「実績を築いてきた企業」だとしか書いていない。これではトートロジーだ。また、破壊的な技術をもっていても事業化できなかった事例もあるわけで、企業として事業化にこぎつけた技術(それこそ DISK/TREND Reports に掲載されている技術)だけで破壊的技術を記述するのは、僕にはかなり危険なことだと思える。(それゆえ、『ブルー・オーシャン戦略』のような本では、事業化にこぎつけられないで消えてゆくイノベーションもあることを強調して、あらかじめ逃げの一手を打っているわけだ。)
それから、これは読み進めたらすぐに気づく方も多いと思うが、この『イノベーションのジレンマ』という書名は不適切だ。表紙には原著のタイトルである "The Innovator's Dilemma" が掲載されていることでも簡単にクリステンセンの意図が分かるように、そもそもイノベーションという事象や成果にジレンマなどない。ジレンマは、かつて(持続的か破壊的かはともかく)イノベーションを起こして大きな成果を達成した優良企業という「イノベーター」が抱えるのであって、これが法人という擬人化を使った表現だとしても、ここから「イノベーション」にまで擬人化を広げるのは、文法として問題がないとしても、本書の内容を伝える表現としては端的に言って間違っている。殆ど中身を読めていないと言われても仕方ないだろう。それから、通読した方はお分かりだと思うが、実際にはクリステンセンは「ジレンマ」という言葉を幾つかの異なる状況に使っている。優良企業の投資戦略についても使っているし、新しく小規模な市場で成長した企業が遅れて参入した企業よりも大きな利益を上げるという、一見するとジレンマでも何でもないように見えることについても「イノベーターのジレンマ」と呼んでいる(p.180)。
もう一つだけ最後に書いておくと、本書に出てくる「破壊的イノベーション」は、そもそも既存の優良企業の多くが萌芽の段階で〈イノベーション〉として捕捉しており、それを利用した商品プロトタイプすら自社で開発しているという。しかし、それが結果として自社のバリュー・ネットワークを侵食する商品を送り出す技術にまで発展するかどうかがわからないのだから、彼ら優良企業が知り得たのは、それが〈イノベーション〉(つまりは新商品)であったかどうかにすぎず、〈破壊的〉であるかどうかを前もって知ることはできない筈である。それは、自社の社内で品質改善という小さな名目で R&D 部署が提案するていどの〈自称イノベーション〉と同列の、事実上は「ハック」の類と見做されていたのではなかろうか。それを後から「破壊的イノベーション」として当時の多くの優良企業が知っていたかのように記述することは、はっきり言って不適切だと思う。もし「破壊的」であると当時の経営陣が知りながら軽視していたなら、それはどう考えても無能でしかない。よって、クリステンセンが言うような、当時の優良企業の経営陣が資源依存理論で説明されるバリュー・ネットワークというフレームの内部で〈正しい経営判断〉を積み重ねたことが失敗の原因であったとする理屈は、一見すると逆説的に思えるので〈面白い〉議論には見えるが、やはりそれは無能だったからなのだということになりはしないだろうか。つまり後知恵による分析と当時の事情を説明する記述とが混乱しているように思う。
実際、第10章でクリステンセンが大手自動車メーカーの社員として空想的な考察を展開しているが、そもそも HBS の教授になれる営業部長など殆どいないという点を大幅に差し引いて読むとしても、彼が「破壊的」技術であるかどうかを識別する条件として並べている項目は、最も馬鹿げた「臭い」なるものも含めて、ほぼ後知恵で並べているとしか思えないものばかりだ。そういう、いまの時点で(敢えてこう書くが)「サラリーマン」ていどが考えつく差別化の指標を超えるところで登場するからこそ、或る技術や発想は〈イノベーション〉なのである。これを「破壊的」であるかどうか判断できると最初に前提している時点で、ものごとを予測可能だと思い込んでいるのは明らかだ。そして、それは「ブルー・オーシャン」と名を変えて新しい尺度で捉えることを推奨してみても、その「新しい尺度」を見つけるのは困難であるというのが、数多くのビジネス書を読んできたビジネス・パーソンなり実務家としての僕の感想である。