Scribble at 2025-09-29 09:34:06 Last modified: 2025-09-29 10:44:30

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外から見れば、大阪を代表するターミナルといえばキタの大阪駅・梅田駅、またミナミの難波駅といったところがまずいちばんに挙がる。が、京橋駅も負けず劣らずのターミナルだ。

大阪京橋の陰でヒッソリと消滅、今では空き地が広がるだけ…28年前に姿を消した“幻のターミナル駅”「片町」には何があったのか?

文春オンラインは、記事へ直にアクセスすると、アンケートに答えるか動画の広告を見なければ記事を読めなくなっている。実質的には paywall と言ってもよい。だが、上記の URL は文春ではなく、au のサイトだ。こういう別のメディアに転載されている記事は、特に何の障壁もなしに記事が読める。ということは、自分たちで運営しているサイトではなく、転載先の方がアクセスは増えることになるのだから、要するに他のサイトへ記事を転載させているメディアというのは、自分たちで運営しているメディアはどうでもよくて、コンテンツを販売するなり提供することの方が重要なのだ。(もちろん、それだけで直ちに是非や当否を論じるには足りない。)

ともあれ、記事の内容は「片町」という駅の話である。最初に言っておくと、片町駅は文字通り「ターミナル駅」であった。だが、この記事では京橋駅や大阪駅なども「ターミナル」と呼んでいて、ここ最近は拠点駅という意味にも使われていることが分かる。当然だが、それなりに英語ができるわれわれなら、"terminal" という単語が使われているのに、列車がすべて通過しているような駅を指しているのは異常である。しかし、阪急梅田駅のように列車止めだけの駅(これが普通の意味で言う「ターミナル駅」だ)でなくとも、確かに大阪を始発・終着駅とする列車はあるのだから、そういう運行ダイヤとしての始発着という意味で「ターミナル」と言っているのかもしれず(たぶん、京橋も京阪あるいは学研なんとか線で京橋を始発着とする列車があるのかもしれない)、一概に「始発着駅でないのにターミナルと言うようになった」とまで言っていいかどうかは不明だ。

ただ、僕はいずれにしても大阪駅や京橋駅を「ターミナル駅」とは呼ばない。そう呼ぶ理由もないからだ。「ターミナル」と呼んで、元来の意味で受け取っている人に馬鹿呼ばわりされるのは嫌だし、そもそも大阪駅や京橋駅をわざわざ「ターミナル」と形容して、何が嬉しいのか。文春の記者風情が「ターミナル」と言いたいだけの子供である可能性もあるが、ともかく僕がこういう脈絡で敢えて使わないと何か重要な意味や意図が伝わらないというわけではないだろう。たとえば、「外から見れば、大阪を代表するターミナルといえばキタの大阪駅・梅田駅、またミナミの難波駅といったところがまずいちばんに挙がる」などと書いているが、これを「外から見れば、大阪を代表するといえばキタの大阪駅・梅田駅、またミナミの難波駅といったところがまずいちばんに挙がる」(強調は河本)と表記して、いったい何が不適切なのか。この後にも、この記事では頻繁に「ターミナル」という言葉が使われているが、それらを「駅」と言い換えて文意が歪むようなリスクは、少なくとも僕には思い当たらない。

さて、記事の内容については、たぶん大阪に住んだことすらない馬鹿のコタツ記事でしかないので、おそらくはウィキペディアでも読みながら書いたのであろう(それくらい、ウィキペディアのエントリーは詳しく書かれている)。なので、内容についてどうこう批評するつもりはない。たとえば、「キタ・ミナミになぞらえるならば、さしずめ“ヒガシ”のターミナルといったところだろうか」などと、JR の乗降客数で言えば京橋駅よりも多い鶴橋駅を無視しているなど、大阪に住んでいる人間の文章とは思えないので、読むに値しないからだ。大阪に住んでいて京橋や鶴橋の区域を「ヒガシ」などと呼ぼうとするセンスも、およそ大阪の人間とは言えないだろう。もともとは大阪の中心商業地区だった船場の北端と南端を呼んでいたのが元になっているのであって、大阪の歴史から言って船場から離れた京橋や鶴橋を「ヒガシ」などと呼ぶ理由はないのである。

ちなみに、このところこういう記事を取り上げて批判しているが、それは僕が大阪育ちの人間だからというだけの理由ではない。そもそも、こういう歴史について書いている連中こそ、歴史学や考古学の学位はもちろん、その地域や場所や建物などの歴史について、本当のところ何の関心も興味もないクズどもがコピペで書いており、ジャーナリストやライターを自称するどころか、専門家や歴史オタクであるかのような態度をとっているのが不愉快だからである。こういう、情報、知識、学問を馬鹿のくせに仕事の片手間に軽く扱うような連中を叩き伏せるには、もちろん正しい知識を語るだけでは不十分であり、詭弁の一種であることは分かっているが、敢えて学歴の話を出したりしているのだ。

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