Scribble at 2020-06-11 20:27:17 Last modified: unmodified

さきほど調べ物をしていると「上田正昭」という名前を見かけた。僕にとっては古代史の研究者という記憶が残っていて、森(浩一)先生ともども日本と朝鮮の交流について研究した方という理解がある。もちろん、さらに著書や事績を詳しく調べると、部落差別の歴史についても著作がいくつかあった。上田さんに薫陶を受けた方として灘本昌久さんの名前が見つかる。

単純にものごとを右だの左だのと切り裂いては、哲学書のタイトルをもじって言えば「知性の限界内」における矮小な理解に安住したがる凡人どもや自称愛国者どもにしてみれば、皇国史観を批判しながら神社の宮司をしたり天皇家に講義する身分を与えられている人物というものは、理解を超えているとは思う。たぶん、僕のように左翼も右翼もここで論難しているような市井の哲学者が考えていることすら、おそらくは理解できまい(そして、それ自体は別に仕方のないことでもなければ喜ばしいことでもなんでもない。社会科学的なスケールと評価基準で言えば、残念で由々しき事ではある)。

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