Scribble at 2022-10-06 12:11:06 Last modified: 2022-10-08 09:12:34

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The Making of a Monster

ニューヨーク州、つまり僕らが日本のメディアで「ニューヨーク」と語られるステレオタイプ的なマンハッタンの金融街とか洒落たジャズ・バーといったところとは違って、マンハッタンから東に位置するロングアイランド島にも800万人が生活している。ロングアイランドは約 3,600 km^2 あって、ほぼ奈良県や埼玉県と同じくらいの広さがあり、アメリカ本土では最大の島だという。この西側内陸部を走るニューヨーク州の州道24号線(別名:Hempstead Turnpike)は幾つかのカウンティーをまたぐように東西へ走り、上記の記事では非常に交通事故が多い道路として知られているようだ。ここ最近の10年間でも300件以上の事故で自転車や人が自動車に衝突されているらしい。もちろん死亡事故もある。いや、それだけではない。バスが縁石を乗り越えて沿道の住宅に突っ込み、6歳の子供を押し潰したという悲惨な事例さえあるという。あれだけ海外で紛争に介入しているアメリカですら、軍事行動で死ぬよりも交通事故で死ぬ人の方が圧倒的に多い。9/11 のテロで亡くなった人の数とも比較しているが、交通事故の数だけで言えば、おおよそ半年ごとに 9/11 のテロと同じ規模の人的被害が起きていると言ってよい。

アメリカで自動車が普及し始めた当時の様子を伝える一例として、歩行者や自転車は〈邪魔なもの〉として扱われた。高速移動と産業発展にとっての障害というわけである。その当時にできた言葉が道路を横断する人を意味する "jaywalker" であり、この "jay" という言葉は農民を意味する侮蔑語だ。そして今でも、横断歩道を渡らない事例は曳かれるリスクがあって当然だが、それ以外の無茶な運転や車の信号無視による多くの事故は、もう既に数が多すぎて地元でも報道すらされないという。

記事の筆者によると、公共の道路を自動車に有利な発想で設計したり運用する理由は、要するに「止まらないことが正義」であるという産業優先の立法と行政の施策にあった。速度制限、信号、無駄なカーブと迂回、これらは目的地へ最短で移動するにあたっての邪魔でしかない。よって、横断歩道があろうとなかろうと道を横断する者には自己責任が求められる。車が赤信号で停止しなかったとしても、歩行者には車が止まらない可能性を想定して歩く責任があるため、そういう事故で被害にあっても歩行者には一定の過失があるというわけである。もちろんアメリカでも、かような発想が狂っていると憤慨する人は多くいる。更に昨今は多くの人が歩行や自転車を移動手段として選ぶようになっているし、この新型コロナウイルス感染症の蔓延でリモート・ワークが普及したことから、自動車や公共交通機関が生活なり人生にとって必須ではなくなった人も増えつつある。行政の方も、人々が生活スタイルを変えたら、幹線道路に自転車レーンを作るかもしれないという。

日本の滋賀県には「飛び出し坊や」という有名な地元の立て看板がある。行政が設置するものもあるが、その多くは地元の人々が自主的に購入して設置するものらしい。子供、いや誰でもそうなのだが、歩道や車道の区別がない大半の細い道であれば、常に飛び出してくる可能性がある。それゆえ、そういう多くの道路は 30km/h などの低い速度制限があって、仮に衝突しても致命的な結果となりにくいように配慮されている。そもそも横断歩道なんていう専用の道路が確保されていないと移動できない歩行者が出てくるくらいなら、都市計画の問題としてすべての車道は高架にするか、地下へ敷設するべきだろうと僕は思う。それこそ停止せずに移動するという目的にとっては申し分ない。ただ、しばしば歩行者の内周エリアと車の走る外周エリアとを同心円状に分けるというアイデアも紹介されたりするが、僕はそういうアイデアは貫徹できないと思う。町の中心部に車で入りたいとか、歩行者エリアを迂回するなんてとんでもないと考える人が、必ず出てくるからだ。

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