Scribble at 2022-04-11 17:27:22 Last modified: 2022-04-12 23:19:53

語学習得は若いほど有利、年齢を重ねてからではもう無理と諦めていないだろうか。確かに脳細胞の数は年とともに減るが、脳細胞の「成長」となると、それとは別だ。習慣を見直せば、まだ脳は育つ。オトナならではの賢い学び方、それとは逆に、やってはならない学び方とは。「プレジデント」(2022年4月29日号)の特集「『英語』レッスン革命」より、記事の一部をお届けします。

オトナになってからの英語学習で、絶対にやってはならない「7つの悪習慣」

日本で英語を学ぶ人の多くが何十年やっても英語をまともに〈使える〉ようにならない陋習や原因には幾つか指摘されている。そして、その一つがまさにこういう素人のアドバイスだ。この手の受験秀才が書く英語学習本とか体験談の記事が、英語学者やネイティブや英語で実務に携わっている人々のチェックも経ずに、市場へ氾濫しすぎていることにあるのだ。この人物のプロフィールを見るとわかるように、脳科学の専門家でもなければ(脳神経内科というのは脳で起きる筋肉痛や神経痛の医療分野にすぎない。科学ですらないのだ)、英語の専門家でもない(この人物が英語でアメリカの学会に参加したりアメリカ人と意見を交換している証拠など一つもない)。しかし、医者だとかどこそこ大学を出てるなどと紹介されると、英語の学習意欲だけではなく学歴コンプレックスがある多くの人は、この手の人々が書くものを妄信したり、あるいはむやみに反発して無視しようとしてしまう。

もちろん40歳や50歳になっても英語は習得できる。というか、英語を使う土地で生きていくために「可能かどうか」なんて調べたり考察したり議論する暇など人にはないのだ。そうしなくては生きていけないからこそ英語を身に着けるのであって、たいていの英語を習得している人たちは、字幕なしで映画を観たり原書のエロ小説を読むといった暇潰しや娯楽のために英語を身に着けるわけではないのだ。日本語の標準語さえ使えたら国内のどこへ行ってもコミュニケーションでの苦労がなくて、外国人や外国語と接するチャンスが殆どない島国で生活しているため、外国語を習得して生きていかなくてはいけないという境遇を、とにかく日本人は舐めすぎている。これも、英語の習得ができない理由の一つだ。たいていの日本人は、英語どころかそもそも外国語を学ぶ(切実な)必要なんてそもそもないのだ。

この記事で紹介されている「やってはいけない7つの『悪習慣』」(他人からの伝聞や著作物のタイトルでもなく、あるいは強調表現とも思えないのに、どうして括弧で囲むのか。日本語の正確な運用能力もない人間に英語を語る資格があるとは思えないがね)を見てみると、

(1) 教材の1ページ目から勉強

(2) つまらない教材をやりきる

(3) 英文の「返り読み」をする

(4) 発音を気にしすぎる

(5) 団体ツアーで海外旅行

(6) 文法を「記憶」する

(7) 部屋が散らかったまま

となっているが、生きるための手立てとして言語を身に着けるという切実で真面目で真剣なスタンスを前提にするなら、(1) と (2) なんてどうでもいい話だ。楽しく勉強する、逆に言えば楽しくなければ勉強しなくてもいいなどという、空虚な「モチベーション」などという錯覚にしがみついて言い訳や正当化を作ろうとするからこそ、そういう正当化そのものに失敗すると勉強しなくてもいいという自堕落な言い訳を自分で作り上げてしまうことになる。こんなものは禁煙と同じことで、禁煙できない人というのは禁煙しなくてもいい理由を自分自身でいくらでも作れる。

(3) は僕も正しいと思う。言語を習得するのは、「道草」といったサイトにクルーグマンの論説を違法翻訳して自分が何か世のため人のためになっているなどと承認欲求を満たすためではない。日本語に置き換えるべきときは、それを日本語の概念として理解するときに〈しっくりいく〉と実感できるときだけでいい。しばしば「英語で考える」などと言われたりするが、英語を〈生きる手立て〉として習得しているときには、そういう自覚すら不要な認知プロセスで済むはずなのである。"Stay!" と誰かに叫ばれたら、「止まれ!」と翻訳する必要どころか、英語として〈何かやってることを止めるという意味〉だと理解する必要すらない。ただ単に自分の行動や行為を止めたらいいだけのことなのだ。

そして (4) については、英語の講師やアメリカで生活している人たちが口を揃えて言うように、「発音なんてどうでもいい」なんてことを言う人間に限って留学経験もない、日本にわざわざやってくる外国人だけを相手にしている暇人であるか、あるいは自分の聞き取り難い発話が相手からどう思われているかに頓着しない無礼者なのである。しっかり相手に誤解なく伝えなければ、生きていくために致命的な失敗を犯す可能性がある。これくらい、アメリカで何か月か生活するだけで馬鹿でもわかる話だというのが、実際に英語を使って生きている人たちの実感だろう。「L と R の違いなんて気にしなくていい」などと言う連中は、来客へ出す料理に塩と砂糖を入れ間違っても気にしないような奴のことだ。

もう詰まらない話にかかわるのはこれくらいにしておくが、最後に一つだけ書いておくと、日本で英語を習得できない人が多い理由の一つとして、これも市井にあふれている素人や塾講師などの英語本とか雑誌記事でさんざん嘘っぱちを書かれていることだが、文法を後回しにして英会話のフレーズばかりを機械的に暗記する人が非常に多い。でも、当サイトの記事で書いているように、英会話本のフレーズがそのまま使える場面なんて、あなたの人生には殆どないのだ。よって、そういう ready-made なフレーズを骨組みとして自分の置かれている状況へ当てはめるために必要なのは、語彙と文法の力なのである。これがない単純なフレーズを繰り返すだけの人は、朝ドラのように何十年と続けていても、現実にはアメリカの青少年にすら匹敵しない AI 以下の運用能力しかないと言ってよい。

とは言え、ごく当たり前に言葉を習得する仕方について誰でも経験しているように、言葉の習得に perfection などない。そもそも自分たちが使う母国語ですら、相手と正確かつ厳密かつ適切に意志を疎通している保証など全くないのである。あるいは言語哲学として考えても、言語による〈意図〉や〈意味〉の共有とかやりとりに「十分」とか「完全」なんてありえないのだ。なぜなら、その基準が全くないからである。したがって、言語の習得について自らであろうと英語教師であろうと会話の相手であろうと、「~でなければいけない」などと言われる筋合いは全くないのだが、しかし会話が適切であるかどうかの判断は、半分は彼らにもゆだねられている。これがコミュニケーションや伝達の(おそらく原理的な)難しさなのであろう。よって、英和辞典を1ページから最後まで覚えたら〈英語ができる〉ようになるなどというのは幻想でしかないわけだが、だからといって英語のテキストを好きなところだけ読んでいいなどというバカげたアドバイスはすべきでない。このバランスやニュアンスがわからない人間に、他人へ英語の勉強の仕方を教える資格などないのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook