2018年05月07日に初出の投稿

Last modified: 2018-05-07

本書は『政治の起源』の続編(なぜか4年たっても訳書が出ない)だが、近代国家の発展にとって政治腐敗を防ぐことが重要だったと論じている。その中で、非西洋世界のモデルとされているのが日本である。フクヤマは江戸時代の武士を「当時の世界でもっとも清潔な合理的官僚だった」とし、その原因を儒教に求めている。

日本の官僚はなぜまじめで清潔なのか

僕は会田弘継さんの『増補改訂版 - 追跡・アメリカの思想家たち』(中公文庫)を読んで、寧ろフランシス・フクヤマを改めて読んでみようと思ったのだけれど、一般の読書人においてフクヤマは賞味期限切れなのだろう。大著の『政治の起源』が国内で(いわゆる論壇だろうとアカデミズムだろうと)話題になった形跡は全くないし、実際に売れていないと思う。それゆえ続編だろうと最新刊だろうと出版社が手を出し難いのは分かる。信夫君は「なぜか4年たっても訳書が出ない」と言うが、どれほどの有名人の著作でも、いまの日本の出版社に売れる見込みが立たない著書の翻訳権を買う余裕はないだろう。それよりも、『君たちはどう生きるか』のようなマンガや対話篇の読みものを焼き直す方が手っ取り早い。なにせ、この手の読み物について、「いまだにこの本が投げかけた問題は解決されていない云々」などと深刻そうに腕を組んで悩んでみせるだけの人間しかいないような国家においては(というか大半の国家とはそういうものだが)、そこに書かれている課題など簡単には改善・解決などされないのだから、適当な年数が経過すれば刷り増しだけで売れる。的確な理解のためには、それこそヘーゲルやレオ・シュトラウスの著書を何冊か読まなくてはいけない筈のフクヤマの本は、読む側に余裕もなくなってくれば売れなくなるのは当然だ。そしてその代わりに、『超訳ニーチェ』なり『蟹工船』なり『君たちはどう生きるか』なり、一見すると目先の利益ではない高尚な理念を話題にしているかのようでいて、実はそれを読んだり語るために何の努力も必要ないただの通俗書に手を出す人が増えるというのは、まるで昆虫の行動パターンを見ているかのような単純さがある。

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