Scribble at 2024-07-17 11:50:22 Last modified: 2024-07-18 10:56:45
『産経新聞』がこういう話題を取り上げるのは自然なのだろうけど、僕は感心しない。南京で起きた出来事に関わる解釈や考察を述べた本を、それこそ市民を殆ど殺害していないと主張する「なかった説」から、岩波文化人の「大虐殺説」まで何冊か読んできて、具体的な数や内容については不明が点が多いと保留するような人の本も含めて色々と教えられた。でも、僕が思うには話題の取り上げ方が基本的におかしいと思っている。
なぜなら、この出来事は旧日本帝国軍による侵略という大前提があってのことだという重大なポイントが過小評価されたり欠落したまま、この一箇所で何があったのかという、はっきり言って世界史的な視野においては些末としか言いようがない話に落ち込んでいると思うからだ。ここで仮に殆ど一般市民を虐殺していなかったとしても、われわれの先祖が犯した愚行が免罪されるわけではないという重大な一点さえあれば、こんな話題にいつまでも拘泥しているのは、逆に過去に起きたことの全貌を、殺された人数という数の話に矮小化するという、輪をかけた愚行に陥ることであろう。そういうことは、日本なんていうスケールでものを考えていない真の保守の人間には許されない愚かさというものだ。
もちろん、中国でバラ撒かれているインチキ写真とか誇大妄想的な被害の宣伝などは、認めるべきではない。しかしながら、これは歴史学や考古学を一定の水準で修めた者なら誰でも分かっていると思うが、或る出来事が「あった」とか「なかった」ということは、それほど簡単に論証できるものではないし、いわんや実証することなど殆どできない場合が多いのだ。現に、そういう理由があって「聖徳太子」なんていう人物が本当にいたのかどうか疑われているわけだし、天皇にしても誰から実在するのかという議論は、おそらく解決などしないだろう。