Scribble at 2024-07-17 08:01:19 Last modified: 2024-07-18 14:47:33

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夏の課題図書を決めた。

まず、Python を使った学部1年レベルの解析、線形代数、そして統計学の本だ。幾つかのライブラリも解説されているから、機械学習の基本的な素養を固めるのに役立つ。あと、たまたまだがアマゾンで1,600円という放出価格だったから手に入れたという事情もある。かなり分厚い本なのだが、これは紙の厚さのせいであって、実際には700ページくらいしかない。辞書のような紙だったら、この分厚さだと1,500ページ以上になるだろうから、それだけ厚い用紙を使っているのだ。

そして二冊めは、船場センタービルに入っている古本屋で一斉に出品されていた、明治書院の「新釈漢文体系」という古典を集めたシリーズの『伝習録』だ。これはインチキ保守でも知っていると思うが、中国の明の時代というから15世紀後半から16世紀初頭にかけて生きた王陽明という人物の発言録・語録、つまり弟子による聞き書きである。そういう書物であるから、いわゆる白話(中国語の口語体)的な表現が多く含まれていて、僕のように中国語を殆ど解しない者には原文など手に負えない。なので、こういう丁寧に翻訳され解説されている書籍は非常にありがたいものである。しかも、いまや古本屋で一冊が500円という値段で放出されているのだから、こんなありがたくも困惑させられる話はない。そして、実際に手に入れた本を開くと、扉に松阪大学図書館からの払い下げである旨の印がある。どういう事情でこんな古典を払い下げたのは分からないが、なんとも嘆かわしいことだ。ただ、それゆえに、新刊書として買えば1冊が1万円にもなる本書を破格の安さで手に入れられるのだから、皮肉なことでもある。

[追記:2024-07-17] 『伝習録』は目を通しておきたい一書ではあるけれど、しかし手短に眺めてみると、大半の内容が「昔のこれこれという書にあるしかじかという説について、先生はどう思うか」という Q&A 方式になっていて、こういういかにも「アカデミック」な箇所は、はっきり言って読んでいて面白くない。他人の意見との対比でしか自分の思想を語れないような人物には、僕は魅力を感じないからだ。でも、だからといって某廣松渉氏のような、夥しい造語によって意味を固定しようとするかのような、はっきり言って言語の哲学という観点からはナンセンスとしか言いようがない手法が良いと言っているわけではない。自立した議論というものは、他人の議論や言葉から隔絶することで成立するわけではない。しかし、だからといって「平易な」言葉だけで議論するという逆の自意識もまた、言葉のもつ一時的にせよ異化の効用を軽視する態度であろう。要するに、必要に応じて的確に言葉を使う他にないのであって、その条件を自ら厳密に定めることが求められる。

ともあれ、『大学』にこうあるが・・・といった内容を読んでいてもつまらないので、課題図書とは言っても全ての項を精読するつもりはない。

[追記:2024-07-18] というわけで、『伝習録』はひととおり目を通したのだけれど、やはり「誰それはこう言ってるが、あんたはどう思うか」という話ばかりで、確かに学問というのはそういうものでもあるけれど、やはり読んでいてインサイトを感じない。ただの書評とか論評を聞いているばかりで、当人の思想をストレートかつ体系的に語っていないため、全ての問答が場当たり的だし、当時の朱子学徒が何を言っていたのかしらなければ、何に反論しようとしているのかも正確には分からないことが多い。なので、もちろんどういう書物も完全に自律しているわけではないけれど、特に『伝習録』は先行する著作を読んでいなければ意味を為さない内容が大半であり、これだけを眺めていても得るものは殆どないように思う。たとえば、肝心の「知行合一」というコンセプトにしても、弟子がこれを陽明から教わっているという事情があったうえでの問答になっているため、実は『伝習録』には体系的かつ詳細で厳密な定義や解説はない。片言隻句のコメントをつなぎ合わせることでしか定式化したり再構築できないものである。なので、分析哲学的なアプローチなら興味深い成果が出せるのかもしれないが、僕にはそういう暇はない。

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