Scribble at 2025-10-06 11:31:33 Last modified: unmodified

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The strange death of east London’s most radical bookshop

よく分からないのだが、この手のゴタゴタは当事者もよく覚えていないことがあるし、覚えていると称する事情通みたいなやつも、たいていは出鱈目や妄想、それから特定の誰かを揶揄するとか悪意や下心でホラを吹いていることもあるから、僕はどれだけ多くの社会学者がフィールドワークの本を出そうと、基本的に信用していない。

日本でも、小熊英二氏や岸くんが分厚いフィールドワークの本を出してるけど、ああしたものはかろうじて少人数のスナップショットにでもなければ上出来だ。そこから何か社会科学的な何かを言えるとは思えないのであって、それこそ彼らの書いている小説やエッセイみたいなものだ。読んだ人が何かをそれぞれ感じたら、それでいいのだろう。しかるに、彼らの本を参考文献に並べて社会の何事かを語ろうなんてやつがいたら、かつて法社会学者を志した一人としても言わせてもらうが、社会科学の徒として門をくぐる資格はないと思う。でも、だからといって彼らの本が読むに値しないというわけではない。漫画や小説を読んで何かを思い立つ人がいてもいいし、それこそ誰かのセンチメンタルなエッセイを読んで社会学を学ぼうと思い立つ人がいてもいいのだ。学者の書いた学術書を読むことで学問を志すのが「スタンダード」で「自然」な道筋であるなどと考えるのは、はっきり言って錯覚だし妄想でしかない。

それはそうと、こういう奇妙な書店というのは僕にも記憶があって、JR 天王寺駅(当時は「国鉄」だったが)から谷町筋を北へ進むあいだ、茶臼山町という地域の道路沿いに、ドア1枚ぶんの非常に狭い入口を構える書店があった。店内も、たぶん8畳くらいしかないと思えるほど狭かったのだが、床に置かれた平積みの本から天井まで並んだ本棚に至るまで、全て新左翼系の出版物だった。それこそ、色々な出版社から出ていた『資本論』はもちろん、中核派の機関誌、革マル指導者の著作集、毛沢東の翻訳書、あるいは「紙爆弾の作り方・投げ方」という自費出版の冊子まで置かれていたのを覚えている。当時は、友人の一人が臆面もない左翼高校生だったから、彼が見つけてきたので、興味本位で足を運んだわけである。Google Maps で確認しても、もうその書店は無くなっているようだ。そら、店の前には当然のように私服警官と思われる人物が入れ替わりに立っていたり、どう考えても公安だろうとしか思えない、黒塗りの車両が意味もなくずっと停車していたりした。そこまでマークされていれば、僕らのように興味本位でやってくる人間はいても、ガチの活動家がやってくるわけもない。おそらくは実店舗など形だけのものであり、実際には通信販売で事業を続けていたのだろうけど、天王寺とあっては狭くてもテナント料は負担になろう。僕が最後に訪れたのは40年近くも前だから、もう無くなっていてもおかしくない。

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