Scribble at 2023-08-13 08:07:06 Last modified: 2023-08-13 09:59:37

添付画像

【危険】間違った英語業界の常識を暴露します。

あいかわらずの clickbait なタイトルだが、内容は非常にまともで賛同できる。

(1) 「日本人は英語を習得できない」

日本語と英語は言語学的な仕組みが違うのどうのと分かったようなことを言う人がいまでも多いけれど、これはデイナさん(上記の YouTuber)が言うように全くのデタラメである。確かに系統が近かったり同一の語源をもつ単語が多いと、アメリカ人がドイツ語を学びやすい点もあるとは思うが、アメリカ人の中でドイツ語を話せる人は、たぶん英語を話せる日本人よりも圧倒的に少ないと思う。それは、アメリカ人はドイツ語を話す必要や理由がないからだ。要は、或る言語を習得するかどうかは、その言葉を読み書きする動機や目的があるかどうかの違いでしかないのであり、そもそも「習得できるかどうか」の違いなんてない。そして、日本語と英語が異なる言語だから云々という話は、英語だけの話に限らず、勉強というものをしたくない人の言い訳でしかないのだ。なので、そういう人たちはハリーポッターの映画を観て英語を話せるようになるといったインチキに騙される。

(2) 「留学すれば英語が話せるようになる」

これも、「留学」が短期の場合は嘘である(それに、長期の場合は元から使える人が行くのだから原因と結果が逆である)。よく3ヶ月くらいの合宿で英会話を特訓するようなツアーが組まれていたりして、短期間で英語に慣れるという効用を宣伝していたりする。確かに慣れるのかもしれないが、それは話せることとはわけが違う。よく、こういう短期間の英会話留学ツアーの宣伝に使われる話として、アメリカ海兵隊では海外で戦闘するにあたって、現地の言葉をたった2週間で訓練して会話できるようにしている、などと言われたりする。だが、これがアメリカ軍の実務なり実績として本当なのかどうかを示した文献とか証拠資料を、僕は一つも見たことがない(アメリカ軍が、実務にかかわるテキストなどを大量にオンラインで公開しているのはご存知だろう)。よって、デイナさんは現地で日本人どうしで固まったりするから話す機会がなくなってしまうという理由で短期留学の効果を疑問視しているが、そういう事情がないとしても、短期留学なんかで喋れるようにはならないのだ。高校生のホーム・ステイなども特別な意味があるかのように思い込む人が多いけれど、あんなの半年くらいアメリカで生活していても、せいぜい単語の羅列でやりとりできるようになるだけであり、会話を習得したなどとは言えない。ホーム・ステイした経験のある人で公に経験を紹介している人たちの話だけを聞いてホーム・ステイに過剰な期待をするのは、まったく簡単なことだが、単なる生存バイアスである。ホーム・ステイしても話せるようにならなかった膨大な数の人々は、敢えて「ホーム・ステイしたけど話せるようにならなかった」などと人前で言わないから、逆の事例が目立つだけのことでしかない。しかも、そういう目立つ人たちの大半はホーム・ステイなんてしなくても既に日本で勉強していて或るていどは話せる人たちが更に実体験を目的にアメリカで生活してみただけという場合が多いのであって、ホーム・ステイしたからこそ英会話できるようになったわけではないのだ。

(3) 「大人になってからでは英会話をマスターできない」

これも、デイナさんが言うようにデタラメの一つである。(1) でも述べたが、国境を超えて他の国へ渡る難民とか犯罪者とか行商人は何千年も前から、年齢なんか関係なく他の国の言葉を習得して生活してきたのである。そもそもアメリカには、30歳や40歳を超えて他の国から移住してきた人なんてやまほどいる。そういう人たちから見れば、何歳だから英語はできないなどと言っているのは、要するにその言葉で「生きようとする」意志がない、あるいはその言語で「生活する」必要なんてない、趣味的な動機で言葉を扱っている人たちの文句や口ごたえにすぎないわけである。そして、そういう切実な事情や動機のない気楽な人たちが英語を話せるようになるかどうかなんて、実は教育や学術や経済という観点で言えばどうでもいいことなのである。文化交流だの国際人だのというファンタジーを思い描く人はいまでもたくさんいるわけだが、明確な動機もない観念だけで英語が話せるようになるほど言葉は甘くない。それは、みなさん自身が日本語を習得したり学んだり活用してきた経験に照らしても同じことが言えるのである。あるいは逆に、或る程度の年齢を重ねてから学んだほうが、学ぶ単語や文章の概念や意味を理解しやすいため、却って効果的で内容のある勉強ができる可能性もある。これは既に「英語の勉強について」という論説でも書いたことだが、小学生に "special relativity theory" という単語を教えて、それを「特殊相対論」と暗記させたところで、小学生にはそれが何を意味しているのか(普通は)分からない。そんな暗記を膨大に積み上げたところで、安物の AI と同じであって、データが大量に記憶されているにすぎず、概念どうしの関係とか重要性の比較とかがぜんぜんできないのである。

ちなみに、このエピソードの中で「100回も練習したけど覚えられない」という不満をこぼす人に対して、「それはただの練習不足です」と応じる場面は痛快で楽しい。よくわからんのだけど、100回とか、そういう回数をこなすと成果が出ると思い込む人って多いよね。実際には、単語の反復練習なんて1,000回くらい必要かもしれないのに。というか、単語なんて語幹や語尾や発音に既に親しみがあるとかいった微妙な理由で、単語ごとに習得できるようになる時間とか回数なんて違うと思うんだよね。なんで一律に1,000回とか100時間やればどうとか、そういう実際の成果を見て判断するというリアリティの欠落した基準を立てようとしてしまうのか。そういう基準をもつと物事が単純になるから楽なんだろうけど、生活(言語の習得とは、まずもって生活手段の会得である)ってそんなに楽なことなのかね。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook