Scribble at 2023-08-13 08:56:37 Last modified: 2023-08-13 09:30:54
僕が大半の書評サイトをアフィリエイターだと断定したり、中学生の読書感想文以下の落書きだと言っているのは、その内容や質があまりにも貧弱であり、当人が本当にその作品や著作物を通読しているとしても、コタツ記事と見分けがつかないほど安易な文章だからだ。その程度の文章しか書けないようでは、本を読む意味はあるとしても、そしてそれを読んだ感想を書きたいという意欲がどれほどあっても、文章として起こし他人に公開する意味や効用など無い。
読書感想文としても、僕が何日か前に『ダイヤモンド広場』という作品について書いたと同じ程度の分量で、自分自身の意見や感想や観点を示すのが最低限の基準だろうと思う。実際、あの落書きには、他の書評ブログなら様式美のように記事の大半を埋め尽くす筋書きの紹介が全くないことにお気づきだろう。つまり、読了した人にしか書けず、読了した人にしか内容の是非を確かめたり判断できないような文章なのである。これだけのことで、コタツ記事ではないという保証になる(ただし ChatGPT で出力した文章ではないと保証するためにはもう少し工夫が必要かもしれない)。
あるいは入門書などの紹介記事であれば、最低限の条件として各章に掲げられている discussion のテーマについて自分なりの意見とかレポートをまとめることが求められて良い。つまり、特にアメリカの大学で使われている入門書や概説書などは各章の終わりに参考文献と discussion のテーマが挙げられていたりするので、全てではなくとも二つや三つのテーマを取り上げて自分なりの意見を展開するのが当然だと思う。実際、海外のブログで書評を掲載している場合には、そういう例が多い。そもそもアメリカの大学で学んでいれば、本を読んでトピックごとに自分の意見をまとめるなんてことは当たり前の作業なのである。日本の大学では、そういう国際的な水準で言って当たり前のことを殆どやっていない。だから、書評一つをとっても国際的な水準の作業、したがって、その作業の成果も根付いていないわけである。