Scribble at 2023-09-10 15:32:41 Last modified: 2023-09-14 14:15:48

いま読んでいる本に関連して、やはり二つばかり書いておきたいことがある。

一つは、アメリカの歴史について読んでいると実感することなのだが、そもそも南北戦争(the Civil War)について一定の分量をそなえた本が全くない。日本では、あいかわらず適当な新書や文庫が続々と出てくるばかりで要領を得ない。そんなものを個別に読んでいくよりも、だいたい白水社あたりが大部の本を二分冊で出している翻訳書くらい(合計で1,200ページほど)のものが皆無ということだ。日本で、南北戦争をしっかり学ぶための書籍は、はっきり言って存在しない。これでアメリカの歴史について考えろと言われても、西洋史の研究者や学校教員や出版社や編集者諸氏に対しては、「何十年も怠慢を続けていながら、何を言っているのか」と逆に問わざるを得ない。

だが、仮に日本人が一から書くのは難しいとしても、翻訳することすら難しいということが分かってくる。なぜなら、洋書(つまりアメリカで発行されている書籍)ですら手に入りやすい十分な分量の本が出ていないからだ。そして、アメリカ人が書いている南北戦争の本というのは、どうも自分たちの祖先についての思い出とか個人的なエピソードをほじくり返すことに終止している感がある。あるいは、軍事物資や作戦史や当時の日記といった、ありとあらゆる些末な史実を拾い集めるオタク趣味の本ばかりだ。かろうじて Battle Cry of Freedom くらいは翻訳してくれないものかと思っているのだが、今度は国内の出版事情として、どうやら「アメリカ史は売れない」という評価があるらしい。これだけデタラメな外来語で「英語のようなもの」を集合住宅の名前や、数年で消え去る糞みたいなベンチャー企業の名称に使ったりするのが大好きな国民だというのに、アメリカの歴史については殆ど関心がないらしく、南北戦争とか黒人差別とかピルグリム・ファザーズといった話題を扱った著作は意外に売れないらしいと(僕が神保町で働いていた30年以上も前の話だが)聞いたことがある。それなのに、これだけ毎年のように言いがかりをつけられている隣国の歴史は熱心に本を集めたり、ゲームにも熱を入れる三国志オタクとかが山のようにいるのは、どうも奇妙な話である。

何にしても、アメリカの出版社に対しても怠慢だと言わざるをえないね。アマゾンで洋書を探してみても、素人が資料をかき集めて書いた些末な記録集だとか、自宅に残ってた先祖の日記だとか、あるいは100ページ前後の雑な小学校の副読本みたいなのばかりで、アメリカ本国ですら南北戦争のまともな本は出ていないと言える。まったく、呆れてしまう。

そして二つめに、いま読んでいる田中正明『「南京事件」の総括』(小学館文庫、2007)に関して、どうも中国政府と一緒に30万だ虐殺だと騒いでいる連中であろうと、完全に否定したがるインチキ右翼やネトウヨであろうと、このような連中が根本的に人間として狂ってるなと思うのは、戦争あるいは軍事行動による殺傷の是非は脇へ置くとして、それでもたった一人をそれ以外の理由で殺したという事実がありさえすれば、それは重大な犯罪行為であり、当人であろうと行動の責任を負う国であろうと、その一点だけでも相手に謝罪する責任があろうという根本的なところを簡単に素通りしてしまうからだ。その数が30万だろうと1人だろうと、まず当時の兵士が実際に行った蛮行に責任を負うべきであった(そして、もちろん実際に東京裁判で処刑された者もいたわけだ)ということは、左翼であれ右翼であれ認めなくてはいけない。僕自身は、中国政府と一部の左翼が言っているような30万といった数はとても信じられないし、あれこれと言葉の意味をいじくり回して「『大』虐殺ではない、そして「虐殺」でもない」と言いたがるネトウヨの品性下劣にも、はっきり言って保守の人間として頭に来るのだが、決して無視できない人数を軍事的な理由や必要性もなく殺した(一人でも、だ)という事実は動かないと思う。その数がどれくらいなのかは、僕自身が色々な著作物や調査で考える他にないとは思うが、ともかく何人であろうと1937年当時の(その一部であろうと)日本軍はデタラメでクレイジーだったという歴史的な事実は認めなくてはいけない。もちろん、だからといって現在の日本政府が謝罪する必要なんてないし、福島から排出している処理水を止める必要もないわけであり、こういう話をとにかくイデオロギーという下心だけで展開するのは、学問や思想の意義を分かっていない無教養な連中の茶飲み話にすぎない。

https://www.nps.gov/trte/index.htm

これはアメリカの例だが、かつて幾つかのネイティヴ・アメリカンの部族を強制移住させて、その途中で大勢の人々が亡くなった "trail of tears" と呼ばれる出来事があって、これを国の機関としてしっかり "A Journey of Injustice" と表記して紹介している。そして、日本とやらに生まれたという以外の取り柄がない(と思い込んでいるらしい)右翼とかネトウヨにとっては、一つでも後ろめたいことがあると困るらしいが、こういう過去に起きた愚行を「愚行」や「不正」として語ることは、事実そのものは恥ずべきことであっても、それを恥ずべきことだと認めること自体は恥ずべきことではないのだ(同じく東京人は、君らの爺さんや婆さんが、関東大震災のときに大量の朝鮮人を殺したかもしれないという過去を、そろそろきちんと認めるべきだ)。

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