Scribble at 2020-11-26 21:47:12 Last modified: unmodified

いっとき Bloggingheads.tv をはじめとして幾つかのトーク番組を YouTube や公式サイトで熱心に眺めていたことがある。特に Eliezer Yudkowsky と Massimo Pigliucci の技術的特異点に関するディベートなどは、音声だけダウンロードして、何度も繰り返して聴いていたこともあったし、PHILSCI.INFO で transcript を公開しようとして一部を翻訳していたこともある。

しかし、特に Bloggingheads.tv だけに限った話ではないが、実はこれらの番組の影響力はよく分からない。数年前はジョシュア・ノーブも出ていたけれど、そもそも実験哲学そのものにコミットするプロパーは日本だと少ないし、それどころか話題にする人すら殆どいない。いや、こういう単発のセッションだけではなく、もっとプロパーに知られている番組として Philosophy Bites のような番組もあるわけだが、これにしても日本で(当然、英語力として聴ける人は山ほどいるだろう)聴いている人がどれほどいるのかという疑問がある。

つまり、どれほど高尚あるいは切実な話題について専門的かつ精密な議論をしていようと、本当のところプロパーどころか学生すらこういう番組を熱心に観たり聴いてはいないのではないかと思う。なにせ、これらを見聞きした《成果》がないからだ。ブログ記事として書く学生くらい日本に何十人かはいてもいい筈なのだが、翻訳が出ている古典のつまみ食いみたいなブログ記事を書いて政府の何とか委員になってしまう三流の教育学者とか、何の業績があるのかも分からないが古典の要約を膨大に書き殴っていた早稲田の学生とか、この手の些末な実績は履いて捨てるほどあるのだが、本当に何かを真面目に丁寧に考えようとする人々の期待に応えるような成果を、本当に日本の哲学プロパーは出す気があるのか。もしそれが余技であり、自分が在籍する大学で学費を直にいただいている学生を教えることが優先だというにしても、Twitter などに出てくるのは実務が面倒臭いという、凡庸な癖に教員としての実務すら厭う適応能力のなさを自己紹介するクズみたいな発言ばかりだ。昔から自嘲気味に学者とは社会不適合者の集団だなどと西部何某がよく言ったものだが、特定の興味に専心することと、社会常識を無視する自意識プレイや職業上の実務を軽視するただの無能とは別の話であろう。

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