Scribble at 2020-11-26 22:32:20 Last modified: 2020-11-28 23:57:23

先日は実家の冷蔵庫を買い替えた。そして、今度は掃除機を替えようと思っている。いま実家にある掃除機は吸引力が弱すぎる。よって、いま自宅にある掃除機を持参して、その代わりに自宅の掃除機を買い替えるわけだ。あまり立て続けに新品を買うと、冷蔵庫について父親が年金から幾らか代金を返すなどと言っているくらい恐縮しているようなので、更に肩身の狭い思いをされても困る。こちらの使い古しを持っていけば、多少は恐縮させることもなかろうし、ついでに自宅の掃除機を新調できるという目論見だ。

しかし、昨今は海外製の安物が5,000円前後で発売されているのを除けば(これらは吸引力がないので論外だ)、国内メーカーの商品となると急に20,000円以上となる。普段から買い替えの為に積み立てているような資金が多少はあるにしても、これはこれで負担が重なると不安にもなる。ましてや、うちは自宅の冷蔵庫も買ってから15年を超えていて、そろそろ挙動がおかしくなってきているのだから、なおさら慎重にしなくてはいけない。

これから60歳に近づくにつれて、当然だがいつまでも会社で同じ待遇が得られるかどうかも分からないし、いつかは退職することになるのだから、確実に収入は下がるだろう。これまでも過度に余計な出費は控えようとしていたが、そろそろ書籍についても更に厳格な判断で出費を抑えなくてはいけない。考えてもみれば、オンラインで公開されているオープン・アクセスの文献だけでも膨大な数があり、確かにそれらだけに頼って十分な学術研究ができるなどということはあり得ないものの、だからといって金があったとしても読むには限界があるわけだし、更に時間があったとしても研究には或る程度の割り切りも必要である。その割り切りの基準を、不当な判断を可能な限り避けられる範囲で引き下げたとしても、その成果によって差し引きが好ましい水準で与えられるなら、受忍されてもよいだろう。500冊の本を読んで書かれようと、ロクでもないことしか書いていない、「編集工学」などと称する素人思想家の落書きが正々堂々と出版されているていどには、日本の出版や学術というものは甘いのである。自分たちでハードルを下げておきながら、アマチュアだけに厳格な基準を要求するのは、端的に言って卑怯というものだろう。もっとも、僕自身は国内の出版業界の基準など知ったことではないが。

[追記: 2020-11-28] どうやら掃除機は買い替えなくてもよくなった。さきほど実家から戻ったのだが、父親が掃除機の詰まったホースなどを自分で整備しなおしたらしい。

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