Scribble at 2020-06-01 09:13:04 Last modified: 2020-06-01 19:35:39

奴隷達はそれ以前に女子供であろうとも、生き地獄の生活を強いられていた。

時としてそれは、死そのものより残酷であり、終わりのない苦痛と絶望を植え込む。

ナット・ターナー 奴隷の反乱リーダー

Twitter で Nat Turner(なお、この "Turner" という姓は「持ち主」であったターナーのもの)の話が出ていたので、調べてみた。単純に「ナット・ターナー」というキーワードで調べた限りでは、90 % が彼を扱った映画の単なるデータ(「情報」ですらない)であり、5 % が彼にかかわる聞き書きなどの著作の単なる書誌データ(これも、「情報」とは言えない)であり、残りの 3 % がキーワードに関する安っぽい辞書的な解説であり、残った 2 % くらいが上記のような寸評とウィキペディアの記事である。

しかし、これは何も不思議なことではない。第一に、大型書店や公共図書館でアメリカの歴史という棚を見ていれば誰でも気づくことだが、20世紀よりも前のアメリカ史を扱った本は非常に少ないのである。つまり、1950年代頃から多くの人々がアメリカの大衆文化を違和感なく生活へ取り込むようになったり、(もちろんわれわれ哲学者が議論しているような概念とは異なり)ersatz どころか論理的な関係すらない場合もある自由とか平等とか公正とかのキーワードで語られる何事かを共有するようにはなったのだが、実際にはそうしたアメリカの文化や思想が醸成された経緯について関心をもっている人は、「殆どいない」と断言できる。第二に、アメリカの大学で学んだとか留学したと称する人々ですら、彼らの多くは専門的な学科(その大半が二流以下の大学で MBA を取得するための金勘定やクリシン遊びだが)で学んだにすぎない。よって、アメリカの歴史を現地の中学生が学ぶていどにすら理解はしていないだろう。もちろん、僕ら英米の哲学(その大半が、簡単に言えば白人の業績なのであるから)を専攻している人間の大多数も似たようなものである。プロパーが少ないということは、出版社から見ても購買層が薄いということにもなり、わざわざそういう分野の本を専門書だろうと翻訳だろうと出版しても(意義はともかく)収益には寄与しないのである。

そういうわけで、特に黒人奴隷というテーマについては更に関心を持つ人が少なくなるため、アメリカ人、とりわけ黒人の知識層であれば誰もが歴史の授業で学んだり、あるいは色々な博物館や資料展示イベントで知ることなるであろう、数多くの有名な黒人の奴隷や人権運動の指導者たちについて、日本語で書かれた文献、しかもウェブ・ページを読めるとは期待しない方がよい。残念ながら、あったとしても上記で紹介したような文章くらいにとどまるというのが実情だ。考えてもみれば、とりわけ人権とか差別にかかわる文章というものは、個人として何事かを経験したり知っているわけでもなければ、安易に書けるものでもない。したがって、もともとオンラインのコンテンツとしては、たとえ誰もが書ける素養をもっていようといまいと、検索するだけで大量のウェブ・ページが見つかると期待するのは間違っている(もちろん、その是非は別の問題だが)。しかし、敢えて何かを書くのであれば、やはりそれだけ期待できる見識なり動機なりを知りたいと思うものなのだが、残念ながらナット・ターナーに関する限りで言えば、既存の著作物を超えるオンラインのコンテンツはない。上記のブログも、色々と「ブラックカルチャー」について記事を並べてはいるものの、ブラックカルチャーとは言いながら大半の記事が人権運動や差別や政治にかかわる話題なのが不可解だ。そして、この方は在米15年と自己紹介しているのだから、少なくともネイティブではなく、現在は帰化されているのかどうかもわからないので、つまりは日本語を扱えてブログ記事を書いている《(アメリカにおける)外国人》だとは思うのだが(別に国籍としての日本人だとも限らない)、そういう《外国人》として、なんでアメリカ黒人に対する奴隷制度や差別に関心があるのかという肝心のポイントが全く分からない。なので、気の毒なことだが、趣味的に「情報」を並べ立てているようにしか感じられないのである。

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