Scribble at 2025-09-03 06:56:57 Last modified: 2025-09-03 07:49:12
東京・世田谷区で40歳の女性を刃物で切りつけるなどして殺害したとして交際相手だった30歳の容疑者が逮捕された事件で、容疑者が事件の3日前「女性に連絡したり接近したりしない」などとする上申書を警視庁に提出していたことが分かりました。
ストーキングの当事者にメンタルでのサポートをしている団体もあるようだけど、そういう社会的・心理的な手法には限界があると思うんだよね。もちろん当人の「人権」に配慮する必要があるという前提があるからこそ、そこまでしかできないという建前があっての話なのだろう。ぶっちゃけ言って、ストーカーというのは認知能力の変異なり欠陥、つまりは「おかしい人」なのであるから、キチガイとまでは言わないにしろ、何らかの矯正措置をしない限り、カウンセリングのような手法で対応するのは困難である。たとえ、そういうカウンセリングへの参加を法的に強制したとしても、当人に改める意欲や習慣がなければ、カウンセリングやグループでの活動なんて、ヤンキーが終礼後に教室の掃除をやらされてるようなものにとどまるであろう。
今回の事例という悲劇的な結末に至らないまでも、ストーキングというものは被害者の QOL を劇的に下げる行為であって、被害者への悪質かつ明白な人権侵害であることは言うまでもない。そして、現代においてはその行動だけでなく、既に認知プロセスなり思考に対処すべき原因があるという観点に立った刑事法学や犯罪学を考案してみるべき時期にきているのではないか。もちろん、これはアニメの「犯罪係数」だとか「ネトウヨ度」を測定して射殺しろとかいう話ではない。しかし、どうも日本の刑事法学は「やむにやまれぬ事情で罪を犯さざるをえなかった」といったメンタル・モデルで被疑者を理解しようとする、うぶな、あるいはテレビ朝日系列の人情刑事ドラマみたいな感覚で犯罪者や前科者の人物像を描こうとするかのような人が多すぎるように思う。もちろん、冤罪も起きているし、情状酌量の余地がある事例もあろうが、はっきり言えば大半の事例は被疑者の身勝手な動機や目的で起きている、愚劣で侮蔑するべき蛮行でしかなく、どれだけリベラル系の刑法学者が「教育」だの「特別予防効果」だのと口にしていようと、再犯率もきわめて高い。
ちなみに、この「再犯率」を語るときに、馬鹿な社会学者や犯罪学者がしばしば「何年以内に再び摘発された割合」などという統計を使って低いの高いのと議論しているわけだが、こういう愚かな議論をしている暇や余地があること自体、自ら被害を受けていない者が犯罪を過小評価している証拠なのだ。僕は、初犯の者が死ぬまでに再び罪を犯すかどうかだけを基準にするのが当然だと思う。「再犯」とは、何年後だろうと何回目だろうと、再び罪を犯したら、その人物の再犯率は100%である。そして、本来の刑罰や更生の目的は、一度であろうと再び罪を犯さないよう防ぐことにあるはずであって、2年後はどうだ、10年後ならどうだという下らない基準で安全かどうかを判断するのは根本的に間違っているし、自分たちが理想として掲げる刑罰や更生のアイデアにも反していると思う。それとも、再犯率を何年という単位で議論している人間は、10年後に再び人を殺すていどのことは別に深刻なことでもないとでも思っているのか。