Scribble at 2026-02-24 15:00:27 Last modified: 2026-02-26 12:22:10

とある事情があって、高校の生物から始めて、ひととおり人体生理学や栄養学、食品学あるいは食品表示法などに至るまで、食生活と人体との関わりについて学びなおすことにした。個々の話題については、もちろん高校時代から少しずつは授業なり読書なり、あるいはテレビ番組などでも知識を得ているし、2年ほど前にはブルーバックスの『新しい高校生物の教科書』というのを通読したこともあった。しかしながら、やはり僕は記憶力が弱いという自覚があって、ノートを取って何度も復習しないと全く記憶に残っていない。せいぜい、「各章の冒頭にクイズみたいなものがあった」という、どうでもいい印象くらいしか残っていないわけで、これでは時間の無駄である。そういうことで、自分自身の生物としての仕組みについて概略を知るために必要なことがらに集中して、色々な関連する分野を学んでノートをしっかりつけて復習することにしたわけである。

なお、僕は還暦も近いため時間に余裕はない。いくらでも「教養」などと言って脇道へ逸れている余裕はないので、不要と思われる事項は無視することとした。たとえば、原核生物、植物、進化論、生態系は、ひとまず割愛だ。したがって、高校の生物の教科書として眺めると、おおよそ半分くらいの分量は無視することになる。ということで、まず高校の生物から学び直しているのだが、最近は「生物基礎」という入門的な課程と「生物」という advanced な課程に分かれているようだ。でも、お互いに密接に関連しているどころか、説明するべき内容が重複している場合もあるため、これは目次を眺めているだけでも困惑させられる。それが分かっているからなのか、たとえば数研出版の「チャート式」の参考書では、敢えて生物基礎と生物とを組み合わせて(必ずしもうまく言っているとは思えないが)内容を構成している。これはこれで一つの見識だ。

思い返すと、僕はかつて江坂の補習塾で中学の理科を教えていたことがあり、特に化学や物理で原子を教えるときに「中学ではここまでしか教えないが、高校や大学では更に細かい仕組みを教わることになる」などと説明すると、たいてい生徒の反応はドン引きである。つまり、自分たちが大人から手加減されて、表面的で程度の低い雑なことを教えられているという印象を受けるらしい。なので、いつもサービスとしてクォークとレプトンの話もするわけだが、そうした説明は実感の無いスケールの話であるため、今度は生徒の多くが興味を失ってしまうという代償がある。もちろん、進学塾ではなく補習塾へ集まっている生徒に電荷やスピンを使った教え方は難しい。

確かに、どれほど丁寧に解説できるとしても、一つ一つの事項を大学レベルまで教えて次へ進むというのでは、まず教える内容が膨大になりすぎる。中学3年、高校まで入れても6年で大学受験という時間の制限があるのだから、現実にはそういう質実剛健な教科書は扱えないはずだ。生物だけで毎日のように授業をする必要があるし、教科書は数千ページになるだろう。もちろん、そういう教科書なり参考書があってもチャレンジングで結構だとは思うが(アメリカのホーム・スクーリングに対応するなら、そういうのがあってもいい。もっとも、教える親の大半が扱えないとは思うが)、そこまでやろうという人は限られてくるため、出版社としても手を付けないと思う。こういうことなので、プロパーの有志が集まって電子書籍の教科書を作ってはどうかと思うのだけれど、なかなか難しいようだ。

[追記:2026-02-26] 冒頭で述べた一部の内容を割愛する話は、もちろん高等教育課程(教養課程)の生物学についても言える。手元にある『生物学』(第2版、石川 統/編、東京化学同人、2008)でも、全9章の中で残るのは、1章(生体物質)、2章(細胞と細胞分裂)、3章(代謝とエネルギー)、7章(ホメオスタシス)くらいだ。もちろん他の事項も色々なところで関連があるのかもしれないが、とりあえずいまこうして生きている僕自身の身体を知るのに直接の関係があるかどうか、現に分からないような分野はスルーせざるをえない。再び「二周目」のチャンスがあれば目を通す機会もあろう。もっとも、その理由がただの暇潰しでしかないなら、なおさら別のことへ集中したほうがよいとは思うが。

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