Scribble at 2026-02-24 12:13:41 Last modified: 2026-02-25 18:19:17

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Appleが、開発段階のiOS26(当時はiOS19と呼称)の情報を不正に入手し漏洩したとして、リーカーのジョン・プロッサー氏を提訴、Appleに有利な状況で進展している模様です。

Apple、iOS26の情報漏洩でプロッサー氏を訴える〜Majin Bu氏にも警告?

なんかさ、こういう記事って自分たちは関係ありませんっていう論調で嫌な感じだよね。

この iPhone Mania っていうサイトにしてみたって、自分たちは噂話か立ち聞きしたことを記録したり報道してるだけだ、みたいな態度で記事を書いてるけど、Apple から警告を受けた人たちのおかげで飯を食ってるわけでしょ。彼らと無関係じゃないはずなんだよ。こういう無神経さというか自覚のなさ(まぁ敢えてスルーしてるのかもしれない)が、新聞社の小僧とかが X で陰謀論を拾って記事にしちゃうみたいな WELQ 級の無様なことをやってるのと同じで、報道とかジャーナリズムとかメディアなんて言ってても、おまえらなんて中学生が大人が喋ってた与太話の立ち聞きをクラスで自慢話の一つにしてるのと大差ねーじゃんって話になってしまうんだよね。

出版・マスコミ・広告というのは、江戸時代からずっと他人の名声やブランドやゴシップで飯を食ってるような、言っちゃ悪いが卑しい仕事だったという自覚が足りないんじゃないの。そうであればこそ、自律的な編集方針だとか厳格なソースの取り扱いなんてことを課してやっと信頼を得てきたのが歴史というものだったわけだよ。現今のメディア関係者のように、生まれたときから大新聞はブランドで、東大卒や慶応卒の高給取りばっかだったり、テレビ局の女子アナは原稿を読むキャバ嬢だっていうのは、どちらかと言えばテレビ放送や全国紙の事業が始まってから起きた一時的な現象にすぎないわけで、メディアに関わることが生業として何の懸念も卑しさもないことだとか、それどころか安定した就職先であるかのような錯覚があるとしたら、たいへんな勘違いだと思う。

簡単に言えば、しょせん情報なんて人が生きるために必須のものではないし、ましてや報道機関なんて別になくても選挙で投票したり行政サービスを受けたりできる。医療なり学術の情報が共有されないと、確かに色々なリスクはあるだろうけど、そんなもんはゼロにはならないし、なければないで仕方ないのだ。奈良時代や弥生時代の僕らの先祖は、そうやって生きて死んでいったわけで、彼らを不憫だ不幸だと考えるのは幼稚な進歩主義者の傲慢にすぎない(もちろんだが、当時の方が幸せだったかもしれないなんていう未熟なセンチメンタリズムも同じ程度に愚かだ)。

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