Scribble at 2022-07-29 16:28:22 Last modified: 2022-07-30 17:08:24

帰宅する途中で久しぶりにジュンク堂大阪本店へ立ち寄った。まず、角川の類語辞典は愛用しているけれど、他の手軽に引ける類語辞典はないものかと物色してみたが、サイズと言い値段と言い、手ごろなものがない。5,000円前後の角川類語辞典と大差ないサイズか、あるいは実用類語辞典のように極端なくらい小さいものしかない。それに、角川の類語辞典よりもやたらと使い分けの根拠など語釈を長々と書いている辞書が多くて、Thesaurus としての効率が悪い。僕はどちらかと言えば「こういうことを言いたいが他の言葉はないものか」という動機で類語辞典を使うことが多いので、語釈なんて要らないのだ。いわば知っている筈の言葉を引き出すきっかけをくれるような「索引」という期待が大半であり、詳しい使い分けのニュアンスを知りたくて引いているわけではない。ということで、このところ学研から続々と出ている小ぶりの特殊な辞書の中で『ことば選び実用辞典』というのが良さそうだった。でも買ってない。ざっと中身を見てみたのだが、俺の頭の中にある類語辞典の方が優秀だったからだ(或る言葉の同義語を調べて、僕の方が他にもある同義語を思いつくという事例が多すぎたのだ)。それでも限界はあるし、耄碌してきて検索能力が低下してきているからこそ辞書を求めている。そんなレベルの人間に負けるような辞書など、買うわけがない(*)。

そして次に、このところ参照している本が多いコンパイラとか構文解析とかオートマトンとかの本を見た。確かにコンパイラについては「ドラゴン本」と呼ばれる定番の本があるけれど、これは図書館で借りるだろう。それからオートマトンなどについては類書が手元に何冊かあるため、もうこれは十分である。あとはプログラム言語の理論という形式的な観点からの議論をしている本だが、これはもともと数が少ないので、選択肢はあまりない。でも、運よく『プログラム意味論の基礎』(小林・住井、サイエンス社、2020)という本が出ていたので、これを買ってきた。しかも、この本には RPN とは別にまとまった論説を書く予定がある Hoare Logic の解説もあるのが素晴らしい。100ページくらいの本だが、演習問題の答えが予想外なほど丁寧に書かれているのも助かる。

そして、最後に本当に久しぶりだが哲学の棚をざっと見て回ったが、まぁいつものような〈パフォーマンス哲学〉というか自意識プレイの哲学本だらけである。特に『現代思想』は「哲学をつくる」とかいう特集で、いつものメンバーがいつものような調子で自意識の話、つまり子供のころからいかに自分たちに「神童」の片鱗があり、東大へどうやって入り、そしてどうやって外国の有名人の本をアホみたいに読むようになり、そして日本の有名な哲学教員にどんな逸話があることを知っているかという、1から10まで徹底した自意識話だ。無能にはこんなことしかやることがないのだから、仕方ない。しかし、それを雑誌の記事として販売してしまうという厚顔無恥には呆れざるを得ない。

あと、このところ「フランスでは高校で哲学を教えている」という外圧を利用して何事かをプロモートしようという連中が、出版業界や、「白熱おじさん」が大好きな学卒集団の NHK などと組んで、イギリスやフランスといった階級国家で最初から高下駄を履いている子供が学ぶ「哲学」とやらを熱心に宣伝しており、プレジデント社からはグランゼコールで使われているテキストが6,000円近くの値段で販売されている。

もちろん、それは何かのブラック・ジョークだろう。哲学を学ぶべきかどうかも分からない段階の人たちが6,000円の値段を払ってわざわざ大部の本を買うわけがない。そもそも、こんな本を買っている時点で、その消費者はグランゼコールがどうのこうのと啓蒙する必要のない、日本でも高下駄を履いた(東大卒で証券会社や NHK や官公庁に勤める)階級の人々であろう。国公立大学の博士課程にまで進んだ人間のポジション・トークとして言うが、これまでも書いてきたように、こんな本が何億冊売れても、この世の中は 1mm も進展しないし良くもならない。(ちなみに言っておくが、僕は反知性主義でも反エリートでもない。学術はトリクルダウンだと思っているし、擬制としての権威主義を支持しているので、バカは有能な人間の邪魔をするなとすら思っているが、それはこの話とは別である。)

哲学という営みは、本質的に教育とか読書とは関係がないところで、それをやろうとする欲求や動機や目的や熱意が生じるものである。しかし、それを「波止場の哲学者」だの「在野」だのという自意識で既得権やステレオタイプにしようとした時点で、そいつは哲学をやる能力がないと自分で証明しているようなものである。僕がアマチュアでありながらも「独立研究者」だの在野だのと自意識遊びをしないのは、そんなアイデンティティなど哲学をやる動機や能力とは関係がないからだ。よって、東大を出たとか京大の教授だとか英語がペラペラだとか、その手の下らない事実も関係がないのである。僕がプロパーも素人もアマチュアも無差別に切って捨てるのは、そいつらがひとえに〈無能〉だからであり、彼らのアイデンティティや立場や身分や自意識なんて関係がないのである。哲学は、有能な人間だけのものではない。しかし、少なくとも無能な人間には無関係なものなのだ。

[追記:2022-07-30] 後で『ことば選び実用辞典』の「まえがき」を読む機会があって気づいたのだが、そもそもこの辞典は漢字語を中心に類義語を集めていたため、和語が少ないという偏りがあった。よって、「俺の頭の中にある類語辞典の方が優秀だった」というのは事実だが、最初から制約のある編集方針でつくられた類語辞典であるから、収録されていない言葉があるというだけで評価を下げるのは不当でもあろう。また、小ぶりの辞書である割には見出し語が大きく、余計な語釈もだらだらと書かれていない点は好印象だったため、結局は本書を購入した。

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