Scribble at 2023-12-28 18:33:21 Last modified: unmodified
少女、情景、生活という三点セットを描写してりゃ、麻雀でも競馬でも組み込めるというのが面白いと言えば面白いな。既に博打という感覚はないのだろうし、もちろん麻雀は新今宮で汚いオッサンがテーブルを囲んで500円玉を積み上げてプレイするものとは限らない。テーブル・ゲームと言えばそれまでのことだ。賭けの対象というだけなら、いまでこそ藤井くんの活躍で「観る将」なんて言葉すら登場してるけど、かつては将棋も通天閣の周辺にある小汚い部屋でジジイが小遣いをかけてやるものというイメージすら大阪では一般的だったわけだよ。麻雀と将棋や囲碁なんて、ひとくくりにされていた時代があったのだ(かつて子供向けの「ポンジャン」という麻雀に似たルールのゲームが発売されたときも、あるいは修学旅行や合宿などに軍人将棋のポータブル・セットを持ってくるやつなんかがいたときも、全国で PTA が大反対していたものだった)。
ということで、少女が麻雀をやってなにがいけないのか。これが文化的ダイバーシティの尊重なのかどうかは知らんが、価値観を相対化するという点では面白いと思う。それに、こんなことは恐らく他の国とは違って、文化が宗教によって制約されにくい日本でしか成立しない現象だろう。