Scribble at 2020-10-29 13:50:24 Last modified: 2020-10-29 14:15:43

『はてな』のレジェンド、コンビニ店長みたいに、書きたくなったら、『匿名ダイアリー』に書くと、誰かが「あっ!コンビニ店長だ!」って喜んでくれる。ずっと書いていなくても、みんなが覚えていてくれる。そんな存在が、すごく羨ましい。

その一方で、コンビニ店長にはなれない僕は、長年ネットで書き続けたひとつの結論として、「結局、忘れられたくなければ、ボロボロになってもリングに立ち続けるしかない」と実感してもいるのです。

ブログが「オワコン」だからこそ、その沈み続ける船で、最後まで演奏を続けたい。

『ブログのおわり世界のはじまり』

よく分からない自意識だ。言うべきことがないのに、ブログの運営者というステータスだけは何故か維持したいなんて、それこそオンライン・サービスのビジネス・モデルや情報処理の自己目的的な循環に飲み込まれているだけにしか思えないが。他人に向かって言うべきことがなければブログの運営など止めてしまえばいいし、言うべきことが「ブログ」でなくてもいいなら Twitter でもなんでも場所を変えればいいわけで、結局のところツールとかメディアとか関係なしに自分が何をそもそもしたいのかがなくて、漫然とオンライン・サービスに向かって何かをしなくてはいけないという焦燥感だけに突き動かされているというのは、かなり奇妙な姿だと思う。そんなところから、果たして何か本当に意味のある成果が出てくるんだろうか。たとえ思い込みであっても、意味というのは必要だ。それすらなくなってロボットのように記事を書き続けたとして、それは WELQ の学生バイトがコピペで量産するページと殆ど社会的な意義は同じだろう。

この方は15年前から個人サイトはオワコンだと言ってきたらしいが、そんなことはどうでもよくて、終わるべきものは誰が何を宣言しようと終わるのだ。そして、それは個人サイトやブログを運営している人たちが勝手に終えるとも限らず、どこの国でも政府が止めさせる措置を取る可能性は常にある。通信の自由や言論の自由なんて、そもそも天井から降ってくるわけでもないし、ザッカーバーグや岩波書店の社長が保障してくれるわけでもなんでもない。合法でありながらも法律だけに依らない理念をもって、僕ら自身が個々に維持するための努力をしなければ、東アジアの自称自由主義国であろうと簡単に現状はひっくり返されてしまうだろう。いわく、美しい国を作るとか、「民間の発想」などという御託がまかり通るような文化的後進国なのだから言うまでもなかろう。

また、インターネット回線事業にしても、儲からなくなれば事業者は少なくなるし、残った事業者の利用料金だって僕らが払えなくなるほど高額になるかもしれない。不必要に事業者が儲けるのはどうかと思うが、ポピュリストにぶら下がって回線事業者を叩いているだけでは方向を見誤ることになる。また、オンライン・サービスにしたって、ブログをホストしてくれているからといって、たとえば FC2 のような事業者のサービスを使い続けるのもどうかと思うし、Hatena のような上場企業ともなると株主の意向に沿ってブログ・ホスティングなんて収益に貢献しないなら即座に切り捨てることもありえる。すると、WordPress のようなフリーのブログ・ツールを使ったり、当サイトのようにプロの技術者が運営しているサイトなら自力で CMS でもなんでも書けるし、そもそもメモ帳で HTML ファイルを書いてアップロードするだけでも(現代ですら)良いと言えるから安泰だろうか。しかし、それですらレンタル・サーバの事業がいつまでも続く保証などないわけで、僕らができる最も堅実な「表現」というものは、皮肉にもチラシの裏へ書くことなのだ。これだけは政治体制がどうなろうと Facebook やヘテムルやフレッツ光がなくなろうと、確実に自分の意見を表現できる最後の場所だし、願わくは素人でも推敲や検証くらいはしてから書くべきなのだから、最初の場所でもあるべきだろうと思う。

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