Scribble at 2024-07-10 22:25:09 Last modified: unmodified
凄く気の毒な話をするようだけど、僕はこの「井上純一」という名前の俳優を最後に観たのが、中村雅俊が高校教師としてラクビー部の監督か何かやってた青春ドラマなんだよね。あれ1970年代じゃなかったかな。この井上純一という俳優が高校生役で出ていた記憶がある。それいらい、この人物をテレビで見かけたことはまったくない。確かに俳優と言っても舞台や映画だけで活躍する人もいるだろうから、テレビで全く観ないからといって過去の人になるわけでもないし、役者としての価値がなくなるわけでもない。しかし、それにしても、こういう事例を観ていると、やはり日本というのは豊かな国なんだなと思わさせる。
僕は、ぜんぜん違う話をするようだけれど、政府が語るような「少子化対策」というのは根本的に思想としておかしいと思っているんだよね。あれって、この国土に1億人を超える人が暮らしている状態が、なにか自然だったり当然であるかのよな前提があってのことだけど、生活できる土地の面積だけで言うなら、日本なんてもっと人口が少なくてもおかしくないんだよね。結局は、猫のひたいがどうのとか言われる土地なり居住地に密集してしか住めないのも、まずもって住める土地が限られているのに人口が多いからだろう。人口が多いからこそ、宅地だけでなく勤務地や商業地や娯楽に使う土地も必要になるし、もちろん行政が使う公共用地も必要となる。道そのものも道幅も狭くて移動は面倒だし危険も多い(道幅が広いだけでも、車両同士の接触機会が減るし、車線も多いからレーンあたりの台数も減って事故は減る。また、町中の道幅が広いと緊急車両も通りやすくなるし、挙動がおかしい車から逃げるチャンスも増える)。 僕は、簡単に言えば日本の人口なんて1,500万人でも多いんじゃないかと思っていて(それでも東京都の人口に近いし、大阪府の人口の2倍はある)、要するに労働集約型の産業なんて先がないのだから、資本集約型の産業や事業で資源の少ない国として維持する事を考えなくてはいけない。となると、逆に人口は減る方が行政コストはかからなくなるのであって、少子化はそんなに不安や戦慄を引き起こすようなことなのかと問いたい。僕は人類史スケールの保守の思想家としては「日本」なんていうセコいスケールや単位でものを考えてはいないので、国や共同体自体はどうなろうと知ったことではないのだが、少なくとも共同体なり国家として維持するという前提を置くなら、別に人口が1億も何千万人もいる必然性はないと思う。
ということで、何が言いたいかはお分かりのとおり、「芸能人多すぎ問題」というのがあると思ってるんだよね。冒頭で述べたように、テレビに出ていないからといって不要なわけではないけれど、しかしそれにしても日本という国はお笑い芸人でも言えることだが、殆ど仕事をしていないのに給料制というだけで芸人や役者を名乗って食い続けている人々が多すぎると思う。ほとんど不良債権みたいなものだが、それをカバーするだけのギャラをトップのタレントがテレビ局(つまりはスポンサー)からもらっているせいで、どこかの広告代理店と同じく「1人のスターが100人を食わせてる」という状態になっているのだろう。かつて、上岡龍太郎師匠は、こういう意見に対して「食えない芸能人を放り出すとヤクザになるしかないので、逆にたくさん抱え込むのが社会のためだ」などと放言していたが、それでは国の色々なキャンペーンで吉本芸人を起用しているのは、或る種の社会防衛の政策だという話になるわけで、国税で「潜在犯」をシャバから遠ざけるという意味では、吉本興業は刑務所と同じであるということになろう。僕は、それはいまどきリアリティがないと思うんだよね。別に宇治原とか高校の後輩がいるから弁護してるわけじゃなくて。