Scribble at 2020-04-11 08:14:01 Last modified: 2022-10-03 10:19:21

つまり、テレビや新聞で「外出自粛に従わない人」を繰り返し、繰り返し報道することによって、皮肉なことに「外出自粛に従わない人」の背中を押してしまっているのだ。

世界一規律正しい日本人が、「外出自粛」の呼びかけを無視するワケ

僕もこの記事の指摘には同感だ。

典型として池田信夫君のブログ記事が参考になる通り、彼は一貫して新型コロナウイルスの問題は「経済問題」であり、余計な自粛や経済活動の抑制を求めるよりは、ノーガードで市中にいったんウイルスを蔓延させてしまい、何人かは《統計的には死ぬ》かもしれないが、それはもとより折り込み済みなので仕方ないと何度もいろいろなところで書いている。また報道にしても、緊急事態宣言について何度も繰り返されてきたのが、日本にはロック・ダウンを強制する法律はないという指摘だ。これは、いわゆる戒厳令が敷かれるかもしれないという心配について説明しているつもりなのだろうが、実際には、強制力がないのだから従う必要など最初からないという言い訳に利用される口実を与えてしまっているのである。こうした理屈がウイルス同然に蔓延することにより、恐らく国内では舐めた行動をとる人がいまだに多くいるのだろう。

情報セキュリティと同じく、感染症対策においても、一か所の弱点が残っただけで、そこから大きな被害が起きる可能性もある。よく知られているように、マスクなんて感染の予防には殆ど効果がないので、潜在的に罹患している人が列車に乗って喚いたりクシャミをすれば、大量のウイルスが車内にまき散らされて何十人もがウイルスを吸い込む恐れはある。そして、もちろん既にそういうことは国内で数か月前から起きていたはずであり、なるほど信夫君が言うまでもなく国内では相当な数の潜在的な感染者がいるのだろう。いまさら経済活動を抑制したところで、ある程度は広まってしまった潜在的な感染者については、彼らが発症するかどうかは家にいるかどうかとは何の関係もない。そして、国内の人間の大半がそういう経緯で同じように潜在的な感染者だったとすれば、経済活動をやめたところで結果は大して変わらないと言いうる。

しかし、このような理屈には重大な欠陥がある。ウイルスが蔓延していても、医学的な意味で罹患したと言いうる(そして発症すると見込まれる)ためには、その閾値というものが一定の程度を超えなくてはいけないのである。たとえば、僕らの体内では常に体細胞の遺伝子にランダムな異常が起きて、実は毎日のように癌細胞が生まれている。たいていは即座にキラー細胞などが癌細胞を攻撃してしまうので問題はないが、これだけのことで僕らは自分を「癌患者」とは呼ばないだろう。つまり、既に市中にウイルスは広まっているという雑な議論は、このような閾値を超えるかどうかという議論を無視して、ウイルスが蔓延しているかしていないかの二者択一でしかものを考えていない、実は経済効率の名を借りた非科学的な議論なのである。

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