Scribble at 2022-10-23 08:03:39 Last modified: 2022-10-24 11:10:00

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テキストエディタとは?初心者におすすめなエディタ9選!使用メリットや効率的な使い方を紹介!

上記は今年(2022年)3月の記事らしい。Atom については開発が終わると公表されたのが今年の6月だから仕方ないとして、開発が終了すると昨年には既に告知された Brackets を初心者に勧めるとかありえないな。デジハリで Photoshop のメニューと博報堂の組織図の他に何を教えてるのやら知らないが、コタツ記事を書くスキルはさほど高いレベルで教えていないらしい。

この手の記事が毎年のように無数に書かれたところで殆ど意味がないのは、大多数のまともなレベルのエンジニアは専門学校なんかへ進むよりも前にエディタや IDE くらい使い慣れてるからだ。あるいは emacs や vi だけでいいという人もいることだろう。また、大学の教養課程レベルで数学を学んだ人間なら例外なく失笑するはずだが、このような「因数分解」なんていう理系コンプレックス丸出しの言葉遣いも、書いている人間が理数系の十分な教育を受けていないことを自己紹介しているようなものだ。理数系の院卒で、この程度の話を「因数分解」なんて言葉で表現する人は、まずいないだろう。恥ずかしすぎる。

そして更に、テキスト・エディタを選ぶ条件として幾つかの項目を列挙しているのだろうと思うが、果たしてこれらは「因数」という愚かな喩え話にすら使える条件だろうか。文字が見やすいとか、気持ちよくタイピングできるとか、そんな条件はテキスト・エディタの選択だけで決まることではない。マシンにどういうフォントを入れるとか、フォントを UI や編集画面でカスタマイズする機能がどれくらい充実しているかとか、本人がどういうキーボードを使っているのかとか、仮に「因数」とされる条件を更に分解してみたところで決められない話であろう。結局、必要条件と十分条件も理解しないで条件の話をすると、こういう出鱈目なことになるのだ。数学の喩えを使うなら、せめて高校数学くらいはしっかり勉強してもらいたい。

かようにして、コタツ記事なんてものはライターの場当たり的な思い付きや狭く矮小な経験だけで書かれているアマチュアの詩や俳句みたいなものなのであり、エンジニアつまりは仕事として何事かを学んだり考えたり決めようとする人が読むものではない。そして、そういう記事しかない媒体だと思ったら、たとえデジハリに通う当の学生さんたちであっても、こういうクズみたいな文章だらけのメディアにせっせとアクセスするのは止めたほうがいいと思うね。20年近く、大手広告代理店案件(別に電通グループだけではなく、博報堂など他の大手も含む)で巨大企業のサーバ構築やシステム開発を担い続けている distinguished engineer の一人としても忠告させてもらおう。

じゃあ何がいいの? どういう条件なら「因数分解」したことになるの? それはそれで質問としては成立する。しかし、まず大切なことは、デジタル・ハリウッドに通う学生であろうと、こういうページを眺めている学生以外の人であろうと、単なる趣味のプログラミングに使うエディタを選ぼうとしているわけではないはずだ。単なる日曜プログラマであれば、エディタなんて自分の基準で自分が好きなものを使えばいいのであって、他人にどれがいいかを聞くよりも、ウィキペディアでエディタを列挙しているリストを見て、一つずつインストールして使ってみればいいのだ。

しかし、テキスト・エディタを仕事の道具として選ぶなら、当人が仕事の道具としてそもそも選択できるのかどうかが分からないと決められないと言っておきたい。そして、現実には多くの会社において IDE やテキスト・エディタを好き勝手に選べるとは限らないのである。典型的な事例だと、IT ゼネコンでは入社した新卒に好きなテキスト・エディタを業務マシンで使わせるなんてありえない。よって、その下請けとなるベンダー(三次請け、四次請け、おおよそ日本の IT ゼネコンだと五次請けから先は、実質的には個人のフリーランサーかオフショア・ベンダーの身元不明な連中になるだろう)においても事情は同じである。Eclipse だろうと VSCode だろうと、会社あるいは開発のチーム、それからトップ・クライアントの発注側部署が指定する仕様や与件ごとに、あらかじめコーディングの規約とか、使うプログラミング言語やライブラリが最初から指定される。IDE は個人のエンジニアとしての自己実現などのためではなく、コラボレーションのために使うのだから、当然のこととして同僚も使っている共通の IDE が指定・強要される。これを否定して、自分が使いたい IDE やテキスト・エディタを業務マシンに勝手にインストールしたり、モニターの上に裸の幼女のフィギュアを置いたりする自由は、あなたがプリンストン大学の博士号を持っていて、20代前半に GAFA で lead developer の地位にまで登りつめた経歴があり、その IT ゼネコンに年収3,000万円くらいでヘッドハントされて自分の個室をもらっているような社員であるときにのみ与えられるのだ。文科省の底辺官僚がつくった指導要綱に従って、教育案件に群がるウジ虫みたいなベンチャーの小僧が特別講師として指導する「プログラミング教育」だの「コーディング教育」などによって学んだ程度の、しょーもないレベルの技能しか持たない奴隷が、テキスト・エディタなど好きに選べるわけがなかろう。

もちろん、IT ゼネコンの社員でもなければ個室を持っているわけでもない人だっているだろうから、そういう人々にとってはテキスト・エディタを選ぶ余地はあろう。それでも、僕らのように会社でエンジニアが一人しかいないせいで好きに仕事の道具を選べるという状況は少なく、多くのウェブ制作会社でも同僚がいるのだから、こういうことは上司や同僚と話し合うのが最も適格なアドバイスだと思う。もちろん、上司や同僚がアホだったり無知ある可能性も高いとは思うが、会社とはどのみちそういう場所である。そして、そういう場所で同僚や上司にもう少し良いと思えるエディタをなんであれ紹介したり使ってもらえるかどうかを尋ねたり交渉したり検証するということも、会社員としてのエンジニアに求められる対人スキルやコミュニケーション能力の一部なのである。

なお、僕は情報セキュリティの実務家でもあるため、一般的なシステム開発とは違う基準も知っている。だいたい僕が見聞きしている限りでは、情報セキュリティの業界にあっては、お気に入りのテキスト・エディタなど決めてはいけないというのが鉄則である。犯罪やテロや軍事行動は常に生死や身の安全にかかわるシビアな判断と行動を要するため、それらに従事する人々には、皮肉ながらも広告代理店のクリエイターなど足元にも及ばないレベルの「クリエーティブ」なスキルが求められる(当然だが、対抗する側にも同じていどの素養が求められる。やることの目的が善であるか悪であるかは、このような話題においては関係がない。ただし僕らはサイコパスではなく、特定の立場に自ら選んで身を置くからには、是非の判断が無意味であるなどと思っているわけではない)。レベルの高い予備校や塾の講師が東大の入試問題を初見で解けるのと同じく、セキュリティにかかわる行動は、全てが初見の相手や攻撃対象だという前提で、慣れ親しんだ常識や自分の思い込みは可能な限り保留しなくてはならない。

よって、その場で自分の見識の範囲で「使える」と判断した道具は全て意のままに使えることが望ましく、情報セキュリティの業界においては、お気に入りのキーボードじゃないと生産性が落ちるなどとつまらないことを言ってるような、誰かに認定された「天才プログラマ」の自意識などカスみたいなものである。これはつまり、テキスト・エディタと名の付くものは全て使ってみて、多くの知識を蓄えておいた方がいいと言っているわけではない。そんなことをしなくても済む基本的なテクニックや、テキスト・エディタであれば何であれ必要不可欠な特性なり機能を、ソフトウェア・エンジニアリングの問題として知っておくことである。そしてそれらの基本的な技能や知識が十分に有効であるかどうかを、関連する他の分野とか技術によって何度も検証するという、いわば科学者としてのスタンスが重要なのだ。

経験が知識よりも有効となる場合も多いが、逆に知識が経験よりも有効だという場合も多い。特に IT や通信の分野は関連する技術や知識や能力が多岐に渡るため、個々の事項をしらみつぶしに学んだり覚えたり調べるなんてことをやってはいられない。そして、犯罪や軍事行動においては、100の事項を知っているべきであるのに99しか知らないがために高い確率で失敗するような作戦を実行するべきではないとされる。原理原則を身に着けたうえでの推論や試行錯誤では対応できない、単に残りの一つの情報をもつかもたないかが致命的であるような作戦を実行することは、その致命的な残り一つの情報を持っていないなら、なおさら愚行というものである。

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