Scribble at 2024-08-09 07:55:10 Last modified: 2024-08-09 08:28:59

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南海トラフ巨大地震の想定震源域の地図、2013年地震調査研究推進本部 地震調査委員会による。

File:RuptureAreasNankaiMegathrust 2013.png

ということで、南海トラフの震源域で大きな地震が発生する確率は更に高くなったと予想されている。テレビの報道番組でも説明に戸惑う専門家が多かったのに比べて、アナウンサーは視聴者側から常に物事を短絡的に表現しようという「通俗インセンティブ」が働くため(偽の権威主義あるいはパターナリズムである)、観ている僕らはアナウンサーが勝手に(愚か者と)想定する「視聴者」などではないのだから、寧ろアナウンサーの短絡化に抵抗して正確な理解に努めなくてはいけない。

そもそも、地震に関する表現や説明が分かりにくい(あるいは専門家が積極的に「分かりやすく」しようとしない)傾向にあるのは、簡単に理由を言えば統計と確率の観点が混在しているからだ。つまり地震に関する説明や予測の表現には、過去の記録や経験から「いまのところはこういう頻度でこういう地震が起きてきた」としか言えないことと、地盤が崩壊するメカニズムや地盤が移動する際の摩擦などで生じうるエネルギーの量など、与えられた条件から機械的に算出して明解に想定して言えることとが組み合わさっているから分かりにくいわけである。更に言えば、最近の AI や機械学習などで知られるようになった「ベイズ主義」や「ベイズ統計」というのは、統計という頻度によって表される数値と、確率という可能性によって表される数値とを、まとめて扱う理論のことなのである。既に述べたように、地震のメカニズムに関する理論で使われる確率は、与えられた物理的な条件によって計算できる(つまり統計がなくても分かる)可能性のことだが、もちろん「与えられた条件」には限界があるため、この値は計算されたからといって正確だとは限らない。これを、ベイズ主義では「事前確率」と呼び、後から詳しい調査や統計から分かった補足情報によって条件を補正することで「事後確率」という(補正情報を新しい条件とした)条件付き確率として更新される。ここで、補足情報として加わる頻度は統計だが、この情報を「数十年に1回」などと確率のように表現することがあるため、聞いている人の多くは混乱しやすい。

更に、科学哲学として議論すると、この事後確率をどのように解釈するかは自明ではない。なぜなら、ここで議論している「条件」は厳密に正確なわけではなく常に不十分だからだ。したがって、或る客観的な可能性(chance)についてどのていどの信念(belief)を置けるかという、客観と主観との関係について一定の方針が必要になる。そして、多くの場合には、客観的な可能性について置ける信念は、手持ちの事後確率についての信頼性(credence)と同じものとして扱うべきだという方針が最も合理的であると考えられていて、この方針を科学哲学では「主導原理(Principal Principle)」と呼ぶ。もちろん、これを提唱したデイヴィッド・ルウィスが述べるように、もし客観的な可能性が疑いようのない真理として我々に知られる(つまり信念が100%以外ではありえない)なら、Principal Principle は単なる常識にすぎず、これを議論することは哲学的に言っても実用上でも無意味であろう。

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