Scribble at 2024-05-16 12:42:21 Last modified: 2024-05-17 10:50:46

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道警によると、男児は10歳前後。現場は信号機のある交差点で、目撃者の話などから歩行者側の信号が青だったとみられるという。

横断歩道で10歳前後の男児がはねられ死亡、青信号で横断中か…札幌の市道

つねづね思うのだが、信号無視は不注意でも起きるから過失の扱いになったりする場合もあるのだろうけど、上記のような事案は運転における特殊な結果として扱うだけでなく、そろそろ殺人罪の範疇に入れてもいいような気がするんだよね。やりすぎると、凡人なんてたいていは同じていどに無頓着だから、いちいち罪を重くすると収拾がつかなくなるので限度はあろうけど、やはり「無知は罪である」とか「無頓着は罪である」というメッセージを(立法が難しいなら)司法なり行政が発しないといけないと思う。なるほど、ポモ的な文学の範囲でなら「愚かに生きる権利」なんてものを概念としてこしらえる暇潰しも可能だろう。でも、そういう概念を弄ぶこと自体の愚かさには、社会的な責任をとってもらいたいと思う。僕は保守だし権威主義者なので、「学術犯罪」という概念だってありえると思う。学術研究なら何をやってもいいし何を成果として公表してもいいなんてことは、僕は間違っていると思うね(もちろん、その是非をデタラメに決めてはいけないのも事実だが)。

それはそうと、ここ数日のトリアージみたいな話の中で、蔵書から手放すジャンルとして、もちろん歩行や通行あるいは交通行政や交通裁判にかかわる書籍も検討している。おおよそ6年ほど前に「歩行論」を提唱して、対面から歩いてくる犬を連れた馬鹿や、いわゆる「Gメン'75歩き」をする観光客や夫婦などの傲慢さにどう対処するか、あるいは横断歩道で信号を無視して突っ込んでくる自転車(上の事案はクルマだが、自転車なんて横断歩道に信号が赤でも青でも平気で突っ込んでくる)にどう対応するかといった、公道におけるサバイバルをテーマにした。しかし、このようなテーマはこちらがどれほど注意したり善人であろうと、相手がどうしようもない人間であれば幾らでも事故に巻き込まれるし、もちろん整備不良や故障などによる不可抗力で起きる事故もあろう。結局のところ、馬鹿のふるまいに巻き込まれない最強の対策は、「外出しないこと」しかないのだ。それでも、僕らは歩行どころかふつうに家の中で生活していても、北の3方向にある仮想敵国から核兵器を打ち込まれるリスクがゼロではないという深刻な状況に置かれている。

ということで、ひとまず自分自身と家族の安全を最優先として考えて行動する方針は、既に僕の中にはある。よって、いちいちこれ以上の勉強をして、なおかつここで何か文章を公開するほど、更に時間を使う必要があるかと言えば、ちょっとそういう義侠心はなくなりつつある。

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