Scribble at 2021-07-18 19:33:09 Last modified: 2021-07-19 09:19:14

こう話すのは、東京都内の新型コロナウイルスワクチン接種会場で、会場整理を行うスタッフの丸山恭子さん(仮名・30代)。

ワクチン不足で不安に苛まれる人たち 陰謀論に取り込まれることも

話題は特に関係ない。それよりも、海外も含めてマスコミというのは昔から上記のような「仮名」を創作して発言を紹介したりするわけだけど、もう海外の新聞や雑誌を含めて何十年もそんなことをしてる筈だが、少しはものを基本あるいは原則から考える気にならないものだろうか。

そもそも、修辞という観点から言って、このような「仮名」は全く必要ない。ワクチンの接種会場で人の配置や流れを整理するスタッフを記事のソースとして登場させたいなら、「ワクチンの接種会場で整理を担当する人物」と書けばいいだけだろう。何も同姓同名の人にいらぬ迷惑がかかるリスクを引き上げてまで「丸山恭子」なんて具体的な氏名を作り出す必要がどこにあるのか。文章の後で同じ人物に言及する場合も、「(丸山さん)」などと書かずに「(同氏)」と書けばいいし、違う人物があいだに登場していて「同氏」では誰のことなのか分からなくなるというなら、そこで初めて「Aさん」とでも書いておけばいい筈だ。どうして具体的な日本人の氏名を使う必要があろうか。

こう問うと、日本のジャーナリストというのは、全国紙の新聞社にいる記者から上記のようなイエロー雑誌のライターに至るまで、決まって「リアリティ」とか「説得力」などと、実証されたこともなければ論証もされず、それどころか自分たちで言ってて確証すらないであろう御託を口にするのが定番だ。しかも、日頃から自分たちで文字数を節約するためと称して奇怪な体言止めを見出しで多用しておきながら、本文ではクズみたいな理由で必要以上の文字数を浪費する。「Aさん」なら3文字だし「A氏」なら2文字だ。

「天声人語」を始めとする意味不明な〈ポエム〉だけではなく、日本のジャーナリストと称する人々が書く文章というものは、ごくありふれた記事であろうと、デタラメで思慮の浅い、「見識」とは言いようもないものに支配されて毎日のように公表されている。まったくもって、日本の新聞やテレビや雑誌は、個々の細かい点では役立つものの、母国語の運用能力を育むために信頼できるリソースとは言えない。はっきり言って〈文化的な汚染水〉を垂れ流す言語的後進国の工場と言うべきものである。

なお、これは別の論点にもなろうと思うが、発言した本人を特定せずに伝えようとしているときに、「30代」などと世代を表記して何の意味があるのだろう。世代を伝えることで何かの先入観に訴えたいのだろうか。あるいは、可能な限り識別情報に近い記述を追加すれば、個人情報として特定の人物に至るかのような、つまりは「リアリティ」と呼ばれる錯覚を与えるとでも思っているのだろうか。この辺りも、日本のジャーナリストがおおむね全体として無思慮・無批判・無根拠に、赤ん坊のよだれと同じていどの無邪気さで毎日のように垂れ流しているものだと言える。こんなものを読まされる多くの凡人が、母国語の運用者として下方圧力に晒されるリスクを避けるには、恐らく学校や家庭で真面目にメディア・リテラシーを教えるしかないのだろう(しかも学校では教員が任意に教えるしかないわけだが、困ったことに現状でそういうことをしているのは一部の左翼や右翼の教員だけであり、偏向していて良くない。文科省? それは泥棒に寄付金を募るようなものだ。教育行政なんて、その下方圧力を国民へ無自覚に加えている最大の元凶だろう)。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook