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No.40 チャイコフスキー/序曲<1812年> (Kleine Partitur)

クラシック音楽のファンならよくやることだろうと思うが、曲を覚えるために楽譜を買ってきて、CD などを聴きながら楽譜をなぞっていく。慣れてくると楽譜を眺めるだけで曲が思い浮かべられるようになるため、逆に CD などのメディアが不要となる。ただし、それだけだとピッチも音程も自分勝手に歪んでくる(絶対音感がなければ、まず確実に歪む)ため、たびたび再生した曲を聴き直してキャリブレーションしないといけない。これは、デザイナーがモニター画面の色をキャリブレーションするような習慣と同じであろう。そして更に慣れてくると、楽譜の任意の場所を示されてもいきなり曲を思い浮かべられるようになる。実際に音楽家というのは練習でも同じことをやっている筈だ。僕はそこまでの才能はないし修練もしていないので、せいぜいキャリブレーションしながら頭の中の Winamp で曲を再生するくらいしかできない。 だがそれでも、曲を覚えたりキャリブレーションするために一つの曲を同じ演奏で何度も聴いていると、他の演奏に違和感を覚えたりすることがある。たとえ同じ指揮者と演奏家ないしオーケストラでも、録音時期が違えば違う演奏であるから、両者の違いが「上達」なのか「失敗」なのか(録音されて販売されているくらいだから、滅多なことはないと思うが)は分からないにしても、ともかく違うということだけは感じる。

一例を挙げると、チャイコフスキーの祝典序曲『1812年』(変ホ長調、Op.49)を取り上げよう。不幸にも、この曲にはロシアの戦勝記念という趣旨があるため、現在はウクライナ国民の感情に配慮して演奏が自粛されている。ただ、曲そのものは素晴らしいし(実は、この曲は長らく「通俗的」として酷評されたり冷遇されてきたらしい)、もちろん150年前に本作品を作曲したチャイコフスキーにウクライナへ侵略する意図などあるわけがなく、彼が150年後のプーチンなんて人物が何をするか知る由もなかったであろう。よって、こうして(少なくとも現在の)戦争という脈絡はいったん脇へ置いて取り上げると、僕は好きな曲の一つだと言える。特に、最初に聴いた演奏がコーラス付きであったため、この曲はもともとコーラスは付いていなかったのだが、ロリン・マゼールとウイーン・フィル&ウィーン国立歌劇場合唱団が1981年に録音して CBS Sony から発売されたアルバムのインパクトが大きすぎて、それ以外の録音には違和感を覚えることが多い。

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