Scribble at 2021-05-20 12:39:57 Last modified: unmodified

意識なるものが進化によって獲得された機能の一つであるという議論は、それこそ30年以上も前からあるのだけれど、今ひとつ科学としても哲学としても強いインパクトがない。フレーズとしては何程かジャーナリスティックでセンセーショナルな印象を与えるのかもしれないが、そもそも「進」化という概念すら疑わしいし科学としても否定されている(もちろん、〈何かに向かっている〉かのような語感は design argument でしかないからだ)わけで、そろそろ日本語としての「進化」という表現はアップデートする時期を迎えているのではあるまいか。

同様に、江戸時代の末期から明治時代の中頃にかけて、僕に言わせれば未熟な人々が作った外来語としての学術用語の数々は、まず第一に現在の日本人が習得する範囲の言葉や文字として不慣れな言葉や文字を使うものもあれば(「尤度」とか)、社会言語学的な観点で言えば loaded language として特定の価値観や差別意識を含意したり暗示するものもあるし、現在では意味が変わってしまった言葉を含む熟語だってあろう。印刷した文字やデータとしてクラウド・ストレージに記録した音声データなら言表として意味を固定できるという思い込みは原始人の観念であって、道具が紙であろうと Google Drive であろうと、使う者が原始人並みの知見しかもっていなければ "garbage in, garbage out" の金言どおりの結果しか生じまい。

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