Scribble at 2023-01-28 08:58:51 Last modified: 2023-01-28 22:20:46

日本の学術書を出版する事業者が、海外の特に大学出版局と比べて、出版物の量や質において明白に劣っている理由の筆頭と言えば、ファイナンスである。日本の出版社は、はっきり言えば自費出版で食ってる印刷屋か同人誌の運営団体みたいなものだ。要するに、本を売るために銀行から金を借りて、本を売って金を返済している。したがって本質的に自転車操業でしかありえない。これに比べて、Harvard University Press や Cambridge University Press だけでなく、地方大学の出版社であろうと、海外の多くの出版社は出版事業とファイナンスを別個に展開している。出版するべき何かがあると決まれば、それに必要な資金調達は日本と同じく間接金融も利用するけれど、寄付や株式投資など色々な手法を使う。そして、それをやれるだけの人材が組織に揃っているわけである。日本の出版社なんて近所のセコい中小の銀行と取引しているのが関の山であって、大学の名前を冠した出版事業者ではファイナンスを担当する専任部署を持っていないところも多く、せいぜい経営陣や経理が担当しているていどではないか。

資金を調達する(つまりそれに責任を負っている)部門が独立して一定の財源を確保しているからこそ、計画をたてて、或るていどは安定した見込みで出版事業を継続できる。よって、出版するべきものとそうでないものを是々非々で決められるし、海外の出版社は学位(博士号のこと)を持つ人も多いため、その基準は日本でヘイト本や低能向けの本を乱造する幻冬舎や扶桑社や日経BPといった学卒集団よりも高い。日本では1980年代の後半頃から学歴という指標を非難する議論が盛んに特集番組や討論番組などで叫ばれてきたが、「卒業した大学の名前だけで判断してはいけない」という被害者意識だけが延々と繰り返されるばかりで、ではそれ以外にどういう基準で判断すればいいのか、それを誰がどうやってやるのかを、上場企業の人事部だろうと文科省の官僚だろうと、誰も思いつかないし発言もしないし実行も提案もしてこなかったわけである。それは当然のことだ。

馬鹿や凡人に自分よりも有能な人間の評価はできないのである。よって、学歴だけで集めた新卒から歩留まり率を維持してクズを捨てるような一括採用と同じことをするほかにない。もちろん、たまたま無知な人間が優れた人材を採用できることもあるが、それはそれだけのことでしかない。

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