Scribble at 2020-04-29 20:51:32 Last modified: 2020-04-30 18:05:07

例の「アベノマスク」は来月中には全国の家庭に配布されるらしいが、既に大阪市内の僕が住んでいる地域では、ドン・キホーテなどへ行くと不織布のマスクが山のように売っていて、しかもそれを我先にと争って買う人もいない。トイレット・ペーパーは常に消費するものだから、一定の割合で売れてゆくのは当たり前だが(自宅で過ごしているからといって普段よりもウンコしなくなるわけでもなかろう。それどころか会社や学校でウンコしてる人たちも多くが自宅でするようになるのだから、家庭でトイレット・ペーパーを使う量は余計に増えるだろう)、自宅にいたらマスクする人は少なくなる。消費していないなら、いくら無くなると困るとは言っても、自宅にマスクが何千枚もあったって(転売できるわけでもなし)仕方ない。よって、これまで馬鹿みたいに買い漁っていた人々が買わなくなれば、普通に生産していても余るようになるのは当然だ。

そういうわけで、アベノマスクが届いても記念品として保存しておくか、役立たずのゴミとして廃棄する人が多くなるだろう。そもそも、自覚症状がなくても他人へ感染させないように、みんなで口からの息や唾を抑制するというだけなら、よく都内の学生プログラマが Twitter のプロフィールにアイコンとして登録してるセルフィーのように、もふもふのタオルで口を覆うという、意味のよくわからない(自意識過剰な気もするが)姿をそのまま全国に3月の上旬くらいからでも推奨したら良かったのだ。結局、こうした対応が後手後手に回った理由は、疫学や微生物学のプロパーは明言できないとしても、政治家には決断する権限があるのだから、多少はオーバーでも即座に (1) WHOの優柔不断を無視して1月下旬からでもヒトからヒトへの感染を疑って対処できた、(2) 学者のくだらない定義遊びなど放っておいて、エアロゾル感染の可能性があると判断して2月からでも緊急事態宣言を出せた、という二つの点で政治家や官僚が他人任せで決断を保留したことにある。いや・・・実際には判断が遅れた最大の原因は、あの巨大な時間と労力の浪費であるオリンピックだ(元陸上部の人間にまで、こう言わしめるほどのクズ行事がいかほどの愚行か)。少なくとも僕らは1月の下旬に中国で新しい感染症が流行し始めたという報道を見た時点で、ヒトからヒトへの感染が不明などという WHO の発表を冷笑して眺めていたわけで(患者がすべてコウモリを食べていたり、あるいは生き血を吸われたときに感染したとでも言うのか)、これほどの世界的なインパクトになるとは予想もしていなかったにせよ、国際機関や各国の行政が完全に過小評価していたのは確かだと思う。実際、2月なんて殆どダイヤモンドプリンセス号の感染状況に報道も対応も終始していて、国内での感染の広まりについて何も手が打たれていなかった筈だし、せいぜい武漢での様子を伝えるにとどまり、国内の危機に対応した報道もなかった。

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