Scribble at 2022-02-09 09:15:57 Last modified: 2022-02-09 12:01:03

たまにアマゾンでフーリエ解析や量子力学の通俗本を発行している「ヒッポファミリークラブ」とかいう、奇妙な発行元の名前を見かける。暗黒通信団みたいなものかと思ったが、調べてみると多言語教育のサービスを提供している団体らしい。多言語教育を実施する団体が、なんで量子力学の通俗本を出版するのか。しかも、よりによって量子力学とフーリエ解析だけ何でだろう。そもそも外国語教育の団体にそんな素養をもつ人材がいるとは思えないし、団体の趣旨としてもそういうものを発行する意図が分からない。数学や物理は自然を読み解く「言語」だからという趣旨だろうか。もしそういう「言語」という言葉の雑な印象だけで語学教育の会社が数学や物理の本を出しているなら、それはぜひともやめていただきたい。

正直なところ、数学とか物理学の理論を「自然を理解するための言語だ」と真顔で言うような人間は学者として3流だと思っている。言語とは、自然を理解しようとまで言い張っている人々には申し訳ないが、そんな安直な比喩で語れるものではないからだ。生まれたときから数学か物理の概念とか理論を習得し、自分が生きるためにそれだけを使って生きてきた人間なんて一人もいない。数学や物理を「言語」と呼ぶのは、言語哲学や人類学という次元で言っても冗談としか思えない。同様に、プログラミング言語を「言語」と呼んでいるのは便利な比喩にすぎず、C「言語」で自分の病状を医者に説明する患者もいないし、Ruby「言語」で取締役会の議事録を記録する者などいないのだ。よって、多言語教育の団体が物理や数学を教えるのは〈それらも言語だからだ〉という動機が仮にあるとしても、僕に言わせればクソ理屈でしかない。

確かに、生きるための手段でないなら「言語」とは言えないという見方は狭すぎると言いうるかもしれない。制限された特定の目的だけのために使われたり開発される「言語」があってもよいだろうと反論することは、いちおう論理的には可能だ。もちろん、そういう目的で作られたり運用されている何かがあることは事実であり、それを認めるとか認めないなどと議論する意味はない。要するに問題は、そういう何かを「言語」と呼んで差し支えなく、「言語」が言い表す概念の具体例として理解していいかどうかだ。そういう事情でいえば、僕は「~話者」として、それだけで生活できる共同体が存在しない場合には、その記号体系は「言語」ではなく何らかの信号・伝達・命令ルールの体系でしかないと思う。日本語には日本語だけを習得して育ち、同じルールの体系を共有するコミュニティがある。しかし、C「言語」や「自然を読み解く言語」と呼ばれる数学には、それだけを習得して生きている人々のコミュニティなどないし、そういうものはたぶん成立できない。そして、それを「生活という価値観への偏向」だとか「役に立つかどうかという偏狭な判断基準」だなどと非難されるいわれはない。特定の目的に合致するという価値のあるなしを無条件の優劣と勘違いするような単細胞の左翼にしてみればファシスト的な態度に見えるのかもしれないが、世の中には目的に相応しいかどうかという基準で言って、余計なものを切り捨てなくてはいけない場合が多々あるのだ。

次に、この団体は過去にも日本の古典を朝鮮語で読解するという、古代史や万葉集のアマチュア研究者によくある杜撰な発想をもとに何冊かの著作物を世に送り出しているようだ。これについても、一部の人々が朝鮮半島を渡って日本に住み着いたとか、あるいは歴史時代においても朝鮮半島から技術者や僧侶や学者が「渡来人」なり「帰化人」として日本に渡ってきて住んでいたという事実だけを振り回して、日本の慣習や文化の一切合切を韓国や中国に「起源」があると主張するアマチュアがたくさんいる。こうした人々は、言語学でもよくあるドイツ語の "Name" と日本語の「なまえ」の発音が似ているという事実をもとにして、二つの言語(体系)が近いとか直接の影響関係にあるとかいったオカルトを信じ込むような、はっきり言って拙劣としかいいようがない未熟な知性で物事を眺めたり考えているのだろう。それこそ他人様に「教育」を提供するなど不遜もいいところである。実際、どういう活動をしているのかは、会員制であるために外からは分からないらしいし、ここで学んだ人間が多言語話者としてどういう実績を上げたのか、気の毒ながらわれわれは何一つ実例や証拠を知らない。少なくとも、この団体は言語交流研究所なるものを40年以上も擁しているらしいのだから、既に国内の言語学者や語学教育界の中に何らかの評価があってしかるべきであろうが、そういう評価が何かあるという話も聞かないし、そもそもそういう「研究所」から語学教育や言語学についての成果が著作として出ているかどうかも、大型書店で言語学の棚も見ているつもりだが定かではない。

よって、こうした団体のやっている活動は、大阪の設計会社が母体になっている「るいネット」のようなものだと思う(都市計画とか建築設計とかにかかわると、「全体をデザインする」という仕事をするだけで全能感に陥り、思想とか学問に関わってるような錯覚が起きる。日本の、東大を出ていても修士号すらもってないクズ官僚の全能感を見ればお分かりだろう)。要するに、既存の学術研究コミュニティからわざと分断された環境をアマチュアや傍流の学者が勝手に作り出して、そこでしか通用しないヘゲモニーとか評価基準をもとに、何が事実で何が正しいかを自分たちだけで勝手に決定してしまう。宗教や政党とは関係ないようでも、メンタリティとしては疑似科学や素人学問の「カルト」と言ってよい。こうしたものは、オープンと言われながらも実は小さな島宇宙の集まりでしかないウェブでも古くからあり、有名なものでは「ウーロン茶掲示板」、そしてウーロン茶掲示板を非科学的と言って非難しつつ自分たちも独りよがりな場と化して終わった「黒木掲示板」、あるいは最近で言えば Anonymous などが該当する。

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