Scribble at 2023-09-11 11:10:29 Last modified: 2023-09-11 18:39:04

僕らは子供の頃からテレビやラジオや新聞なんてロクでもないと知ってるわけだけど、だからといって自分で何でもかんでも調べたり知る手立てや関心や予備知識があるかと言えば、そういうわけではない。たとえば、みなさんはウクライナの首都であるキーウで起きている多くの被害を、報道媒体(もちろん外国のも含めて)なしにどうやって知りうるだろうか。いや、それどころか隣の都道府県で起きている事故や政治家の不正やゴロツキの起こしている事件ですら、知りようがないであろう。

したがって、たいていのマスコミ関係者なんて修士号どころか学部でマス・コミュニケーション論や国語学の初歩すら学んでいない無知無教養や日本語の素人なのだが、だからといって何の信用にも値しないというわけではない。それに、今般の文明なり文化においては分業なくして生活が成り立たない。われわれは自分が手にしているスマートフォンに使われている、どんな部品であろうと、それらを自分の手では作れないのだ(そのための原材料も工作機械や技術や知識もないであろう)。どんなにインチキな性能であろうと、スマートフォンを使うからには誰かの作ったものを使わざるをえない。これは、もちろん妥協なのかもしれないが、こういう妥協を無視して生活できるかのように思い込むのは、非常に悪質な思考なり思想である。よって「マスゴミ」などと蔑むのはたやすいが、果たして彼らなくしてわれわれは何を知りうるだろうかと想像してみる必要もある。すると、盲信するのは論外だとしても、やはり彼らの提供する情報の扱い方を工夫してゆくしかないという、まことに常識的と思える結論にたどりつく。

冒頭で「ロクでもない」と書いた理由は、たとえば僕らが小学生の頃ですら、ニューズ番組だとかドキュメンタリー番組の終わりに「これからも、この問題を考えてゆきたいと思います」なんてデタラメを言われることに慣れてしまうのは良くないと感じたからだ。こういう、NHK や民放でお馴染みの「様式美」と言ってもいい糞みたいなレトリックに疑問を感じるような感受性や「空気」を敢えて無視する才能(無自覚に無視するのは単なる発達障害なので、実は拡大解釈されて "talented" や "gifted" だなどと持て囃されるほどの応用力はない)がないと、思考力や理解力が汚染されてしまう。そして、恐らくは汚染されている可能性が最も高いと思われる学校教師なんかが「学校に新聞を!」などと言ったりするから、汚染が濃縮されて馬鹿が馬鹿を再生産するわけである(いわゆる伝統校や名門校や進学校は、NIE なんて絶対に参加しない)。

しかし、だからといって新聞を読まずに済ませるとか、ニューズ番組を無視すればいいなどというのは、これまた逆の極論でしかなく、その実情と言えば大半の事例で、教養どころか非常識な人間を育て上げるだけの結果になっている。よく、「子供にはテレビを観せないんです」などと自信満々に語る教育ママとかがいるけれど、それで学者になったり企業の役員になったり優秀な国家官僚になった人がどれほどいるだろうか(もちろんそういう職業だけが「成功」だと言いたいわけではない)。僕が思うに、そんなことをやったところで、育つのは単に世間ずれした人間でしかなく、テレビや新聞を避けることで何か優れた人間として育つなどと親が考えているなら、それは自分が育つ環境を選べないことが多い子供にとってかなり悲惨な思い込みだろうということだ。

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