Scribble at 2023-07-30 13:29:27 Last modified: unmodified

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国内で配信されているショッピングやSNS、ゲームなどの主要アプリの9割に、消費者を不利益な選択に誘導する画面デザインが採用されていることが、東京工業大の調査で分かった。「ダークパターン」と呼ばれ、意図しない商品を購入させられるなどの被害が起きている。欧米で規制の動きが広がっているが、国内の対応は遅れている。

アプリの9割に「ダークパターン」、消費者を欺く画面デザイン…国内の規制は遅れる

「対応は遅れている」なんて呑気なことを言ってるから駄目なんだよ。簡単に言ってハリー・ブリグルとかが2010年頃に「ダーク・パターン」というフレーズで騒ぎ出した時点ですら、遅かったと言って良い。したがって、それから13年後に騒ぎ出してるなんてのは、ウェブ・デザインというかオンラインでビジネスする者として致命的な後進国と言って良い。いままで10年以上も、オンライン・ビジネスの何を見てきたんですかという話だ。あるいは、これまでサ*バー*ージェントとかのネット系代理店、あるいはアド・ネットワークの背後にいる(のが当然)とされてる任侠の方々に遠慮して騒がなかっただけだろう嘘つきどもめという話でもあろう。でも、たぶんそこまでは切り込んでいかないだろうから、せいぜい表面的なデザインだの UX だのという都内のカスみたいなウェブ制作会社が取り組むようなことを規制するにとどめておくという体裁で話を片付けるのだろう。まぁ、政治家とか官僚ができることなんて、そのレベルまでだ。

ここのところ、記事を全て表示せずに(React などの JavaScript で動くオモチャを楽しく使って)まずクリックさせるというメディアが海外でも増えてきた。表面的には「ウェブ・スクレイピングに対抗するため」としており、もちろんそういう事情もあろう。なにせ、新しい記事が出ると数時間後には、スクレイピングした上で文体だけ自社の社員やバイト学生の文体に変換したような、いかにも AI で自動生成したようなコピー記事が他のメディアでも量産される。いまや、学術論文ですら同じことが起きていて、人種差別の意図はないがインド人や中国人やトルコ人なんて、およそ一人で書けるわけがない分量の「論文」と称するテキストのゴミをあらゆるジャーナルに投稿しており、共著であれ単著であれ年間に数百本も(アクセプトされていないものも含めて)学術誌の編集部へ投稿しているなんてデタラメが横行している。なるほど、こういうことがあれば自社のコンテンツを守るために対策を講じるという事情は分かる。でも、いまや RPA も実用化されて久しい中で、クリックする回数を増やした程度で対策になっているかと言えば、そんなことはない。それはただの弁解であろう。要するに、そういう無断なクリックの回数を増やして、ビジターの「滞留時間」や「クリック数」といった指標を水増ししているだけだと思われる。われわれビジターは、運営者、アド・ネットワーク、そして広告代理店の用意した「メディア」という名前の実はしょーもない「情報」を餌にしたエコシステムの中で、扱い辛い部品として動き回るだけとなっている。

そういうことを繰り返していても、結果的にビジターがなんらかの「情報」を得て何かが起きればいいじゃないかというのが、いつものとおりリバタリアンと呼ばれているインチキ経済思想の連中だ。しかし、そんなことをやっていて何か良い結果が生まれたかどうかは、彼らには(もちろん僕らもだが)保証はできない。そして、そういう人の限界や無知につけ込んで、あいつらは何をやってもいい、よってあらゆる規制や法律やルールは悪であると言いつつ、どういう人間がどういうビジネスをやってもいいのだ、結果として「経済発展」が進めばみんなハッピーになるのであるという、かつてミルトン・フリードマンという人でなしがチリという国で実行したデタラメな実験を地球全体でやろうと息巻いている。その結果、われわれの経済なり社会がどうなろうと、彼らは知ったことではない。そして、その中で生まれた僅かな成果であっても、それが自由の成果であると言えば済むわけである。自由なくしては生まれなかったであろうという、大昔から言われ続けてきた sine qua non というフレーズを喚き続けて、自由こそがそういう成果をもたらしたのだと言えばいい。でも、そこから生じた他のあらゆる障害や被害は、成果を生み出すためには仕方のないもの、必要悪だとされる。たとえ人類が死滅しようと、どこかに残った自律的なシステムが稼働し続けて、やがて何年後かに素晴らしい計算結果をはじき出せば、それでよしというのがリバタリアンの根本的な発想であり、実は彼らは人(とりわけ他人)の人生なんてどうでもいいと思っているのである。

よって、ダーク・パターンにしても、エロ業界のアイデアをふんだんに活用してアマゾンや Google などが(GAFAM の創業者が、なんだかんだ言っても全て男性であるという点は、それなりに重要だ)発展を続けており、AI を始めとして彼らのシンクタンクや事業部門が色々な成果を出している以上、彼らの発展を阻害するような規制は悪であるというのがリバタリアンの発想だ。たぶん、池田信夫君や山形浩生氏のような変形リバタリアン(たぶん親和性の高いポピュリズムや、あるいは皮肉にも逆の印象があるエリート主義が混じっている)も、そのうちダーク・パターンを規制してもしょうがないとか、規制することは経済発展を阻害してどうのこうのという文章をブログにでも書くであろう。

僕は、真の経済発展の力を信じている一人である。そして、それは自由とか規制のない社会なんていう、実は人類史上に存在しなかったお花畑をスキップしながら達成されるようなものではなく、この世の中に昔からあった色々なルールや慣習や規制を(必ずしも脱法的にではなく)乗り越えて生まれ、展開していくものだと思う。たとえば、いまオンライン・ビジネスを含めた大半の事業を規制している個人情報や国家の機密情報などを規制する法案やルールというものは、早いところではドイツが1970年代に導入しているし、日本の個人情報保護法を制定するもとになった OECD の規制も1980年に、それこそ Google どころか Windows すら世の中に登場していなかった頃に施行されて、ネット・ビジネスは最初からそういう規制がある中であれこれと生まれてきたのである。そういう規制があった上でも、これまでのビジネスがそうであったように多くの巨大な業績が生まれる。これが、少なくとも法治国家で事業を展開する者の能力というものだ。リバタリアンが言っているような社会は、まさにフリードマンが一つの国を実験場として行ったようなことと同じく、皮肉にも社会の自由を剥奪して専制国家や独裁国家として社会の「ルールを減らせというルール」を実施した上で達成される。要するに、リバタリアンとは「社会主義者」の別名なのである。

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