Scribble at 2025-02-02 15:34:20 Last modified: 2025-02-03 22:42:00
当サイトでもヘッダにリンクを追加してあるから、お気づきの方がいるかもしれないが、広く言って「クリエーティブ」にかかわるコンテンツを新しいサイトとして集約することにした。したがって、生成 AI による僕自身の成果も、そちらへ公開する。それから、これまでに仕事やプライベートで制作した名刺やドキュメント(公開したものに限る)やウェブ・ページや研修教材の挿絵、それから年賀状とか、あるいは二十歳前後に東京の出版社で編集者をしていた頃に制作した雑誌記事のページ・レイアウト、そして実際に僕自身が撮影した写真なども掲載したい。
このサイトには論説も掲載するので、それに関連して美学や芸術学について基本的な勉強をしておこうと思っている。さしあたっては、それらの分野に関連する概論を読み始めているのだが、もちろん僕は美学も芸術学も関心があるので、それなりにハードな勉強ではある。なお、美学と芸術学は直に関連している話題やアプローチも多いが、同じわけではない。たとえば、或る風景を眺めて「自然美」を感じることはあるだろう。でも、それは人工的に誰かが設計して造成した景観でないなら「芸術」ではない(ときとしてテレビ番組などでは「自然の織りなす芸術」なんて言ったりするが、もちろんあれは言葉の彩というものだ)。逆に、星セントルイスの漫才で(古いな! ていうか二人とも56歳で亡くなったのか。知らなかった)、セント師匠がルイス師匠の後頭部を叩く姿は或る種の「芸術」かもしれないが、べつに美しくはない。
それはそうと、大阪の人間は弟子入りしたわけでも業界関係者でもないのに、漫才師や落語家を「~師匠」と呼ぶことがあって、実は誰も基準がわからなかったりするのだ。おそらくは一定の年齢だろうとは思っているが、50代以上だからといってダウンタウンの浜田や笑福亭鶴瓶を「浜田師匠」とか「鶴瓶師匠」とは言わない(ていうか、敬称すらつけない)。これは社会言語学者とまでは言わなくても、学部生くらいになら研究に値するテーマではあるまいか。