Scribble at 2025-02-02 17:19:31 Last modified: unmodified
一昨年くらい前から、古本を購入したり探すときに、アマゾンだけではなく「日本の古本屋」というサイトも利用するようになって、「日本の古本屋」で買う機会が増えてきている。そのいちばんの原因は、アマゾンの場合は古書店の業界組織に入らず単独で商売している「セドラー」と呼ばれるブローカーのような事業者が大半を占めていて、こういう連中は屋号や所在地こそ色々と違っているけれど、その実態は北朝鮮とか中国やロシアとか日本のヤクザとかに関連している下部組織の連中だと言われている。当サイトで何度も紹介した、アマゾンの洋書カテゴリーで大量に「書籍」として出品されているメモ帳を電子書籍で作成しているのも、こういう連中なのだろう。
もちろんだが、既存の古書店もアマゾンには出品しているし、まじめに運営している個人事業主もいるからこそアマゾンで購入する場合もある。だが、上記のような事例はひどすぎるので、見つけると(あまり効果はないが)アマゾンへ通報するようにはしている。もちろん絶版の本にプレミアがついてもいいけれど、大半の出品者が2万円を超える値付けをしていて、これはいかにも実質的なカルテルではないかという気がする。
それはそうと、このところスタンレー・カヴェルだけでなく、いわゆる「分析哲学」という軸を基準にすれば傍流扱いされてきた人々がアメリカでも日本でも注目されるようになる。そもそも言語学を勉強しておらず、また言葉や言語に興味もない連中が馬鹿踊りを何十年も続けて、当然だが実績もなんにもなかった「言語分析哲学」なんていうインチキも終わりかという気がしているし、思想としての内容を誰もまともに定式化できなかった「プラグマティズム」なんていう、アメリカ人の浅薄な自己イメージも捨て去るべき時期になっているのだろうと思う。そもそもアメリカのように無自覚な傲慢さを抱えた宗教国家で、プラグマティズムが唱導する実利や実用なんていう基準が貫徹できるわけがないんだよね。